連載・特集

記憶のとりで 平和資料館 原爆の標的だった北九州市 新設の計画

証言・資料集め 時間との闘い

 長崎に投下されたプルトニウム型原爆が落とされる予定だった街。政令指定都市の北九州市がことし、平和資料館(仮称)新設に向けて動きだした。仮に被爆都市となっていた場合の惨禍を考え、核兵器の脅威を伝えることも目的となる。戦後70年の節目を挟んだこの10年、国内各地でも官民さまざまの平和資料館が生まれている。体験継承が難しくなる中で、その役割は重くなるばかりだ。(岩崎誠、桑島美帆)

 小倉城の天守閣に近い、北九州市小倉北区の勝山公園。3月下旬、市が設置する「平和資料館のあり方を考える懇話会」のメンバーが雑木林のある一角を視察した。旧陸軍の兵器工場だった小倉造兵廠(しょう)の跡地で、資料館の候補地の一つだ。

 広島に続く2発目の原爆ファットマンの第1投下目標であり、搭載機が1945年8月9日、上空に飛来した。爆心地になったかもしれない場所。「ここがいい」との声が目立った。

 北九州市は戦争と関わりが深かった。西日本最大級の造兵廠が置かれた小倉、軍需資材の製造を担った八幡製鉄所、海上輸送の要、門司。八幡地区は日本で初めてB29の空襲を受けた。45年8月8日の八幡大空襲に伴う煙が翌日の視界不良を招き、小倉への原爆投下が回避されたとの見方もあるが、定まっていない。

長崎への思い

 2010年に非核平和都市宣言をした同市。こうした経緯から被爆地長崎に思いを寄せてきた。勝山公園には原爆の犠牲者を悼む平和祈念碑があり、8月9日に式典が営まれる。市立埋蔵文化財センターの戦時資料展示コーナーでも、長崎市原爆資料館から借りた被爆ガラス瓶などの実物資料を常時、公開している。

 加えて資料館の構想が浮上したのは風化への危機感からだ。北橋健治市長が昨年9月の市議会で表明。有識者や市民代表の懇話会がことしから議論を重ねる。5月には意見をまとめ、本年度内に基本計画を策定する運びで、基本コンセプトは固まりつつある。

 市の展示構成案によれば戦時下の暮らしや空襲の実態だけでなく「原爆投下予定地」の面に重きを置く。長崎原爆を実物資料などを通じて伝えると同時に、死者5万7千人が出ていたとの試算もある小倉への原爆投下のシミュレーションも特色の一つになりそうだ。今のところは800平方メートルほどの平屋を想定し、「音響、映像も駆使した心に残る展示にしたい」と担当課長の田爪康隆さん(48)。

入手これから

 課題も多い。何より戦後70年を過ぎ、新たな資料がどこまで集まるか。米国での収集も並行して着手したが、小倉への原爆投下計画の経緯を語る資料入手はこれからだ。地元の空襲の被災資料や市民の証言の掘り起こしも歳月の壁がある。

 「館を運営するのは戦争を知らない世代。知らない人が知らない人に伝えるには資料を考証し、間違いない事実を伝える姿勢が必要だ」と懇話会に加わる大和ミュージアム(呉市)の戸高一成館長は指摘した。逆に言えば北九州市の取り組みは戦後75年、80年を見据えた継承の営みのモデルケースともなり得る。

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財政難でも各地に開設 満蒙開拓や空襲 継承を模索

 2007年以降、各地でオープンした戦争・平和専門の資料館や展示施設は少なくとも11施設。うち7施設は厳しい財政の中で自治体が開設に踏み切った。

 名古屋市中区の愛知県大津橋分室に「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」が開館したのは、戦後70年の夏。県民から寄せられた遺品や戦災資料など1万点余りを収蔵し、空襲で溶けた瓶や防空頭巾、爆弾など約100点を展示する。県と名古屋市が設置した協議会が運営し、年に1千万円の経費も折半する。市総合調整室は「小学生の平和学習にも活用され、地域史を通じて平和を考える場になっている」と自負する。

 平和資料館の建設を求める請願書を愛知県議会が採択した1994年以来、財政難で難航し、既存施設でオープンにこぎつけた。この間には行政が造らないなら民間で、という声が上がり、高齢女性から土地と建築費1億円の寄付を得て07年、NPO法人が運営する名古屋空襲などの資料館「ピースあいち」が名古屋市内に生まれている。

 財政難に悩まされたのは滋賀県も同じ。12年に東近江市にできた県平和祈念館は長く計画凍結が続き、大合併で空いた郊外の旧町役場を使うことで前進した。立地は不便だが県が集めてきた遺品や資料3万点を持ち、一部は「バーチャル平和祈念館」としてネット上で公開する。「身近な人の記憶を、遠いできごとではなく生きたものとして伝えていく」と伊庭功専門員。

 長野県阿智村に13年に開館した満蒙(まんもう)開拓平和記念館も大きな反響を呼ぶ。行政の支援も得て一般社団法人が運営する施設は全国最多の開拓団を大陸に送り、中国残留孤児などの悲劇をもたらした歴史に特化する。

 中国地方では岡山市の動きが目を引く。北区の岡山シティミュージアムに岡山空襲展示室を設置した。規模の大小はあれ、こうした動きを広島市立大広島平和研究所の河上暁弘准教授は「戦争体験が薄れる一方、社会が成熟し、自治体が固有の街づくりを進める流れと連動している」とみる。

 旧陸軍の飛行場があった福岡県筑前町立の大刀洗(たちあらい)平和記念館は今月、零戦の残骸や隊員の遺書など「特攻」に限定した新館をオープンさせた。戦争の悲惨さを伝える狙いは同じでも歴史的評価が分かれる特攻を子どもに教えるのは難しさも伴う。

 「平和な社会の創造には戦争の悲惨さを次世代に伝えると同時に戦争や暴力はなぜ起きるのか、どうすれば減らせるのかまで考えさせる施設であるべきだ」と河上准教授は指摘する。

 館同士が連携する意味も重くなる。広島市の提唱もあって23年前に発足した日本平和博物館会議がある。広島と長崎の原爆資料館をはじめ10館が加盟するが、施設の増加にかかわらず、数はずっと変わらない。

この10年間にできた平和資料館 ※は民間

2007年
 ※山梨平和ミュージアム
 ※ピースあいち
 09年
 水戸市平和記念館
 大刀洗平和記念館
 10年
 ※明治大平和教育登戸研究所資料館
 12年
 滋賀県平和祈念館=写真
 岡山空襲展示室
 13年
 ※満蒙開拓平和記念館
 宇佐市平和資料館
 15年
 せたがや未来の平和館
 愛知・名古屋 戦争に関する資料館

(2017年4月11日朝刊掲載)
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