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社説・コラム

社説 原発避難者いじめ 理解不足 社会に責任も

 これが初の実態調査だというから驚く。東京電力福島第1原発事故で福島県から避難した小中高生らに対するいじめは、かねて問題となっていた。事故から6年が過ぎてようやく、文部科学省が報告書をまとめた。

 文科省が避難先の学校に面談などを指示した。金品のゆすりや仲間外れ、悪口などのいじめが2016年度に129件、それ以前に70件あったという。うち13件は明らかに原発事故や震災を理由にしたものだった。

 「放射能がうつる」「福島へ帰れ」―。たとえ子どもでも許されない言葉の暴力だ。人権侵害といっていい。「おまえらのせいで原発が爆発した」との暴言まであった。言われた側の心の傷は簡単には癒えまい。

 今回の調査で浮かび上がったのは氷山の一角だろう。避難した児童生徒は約1万2千人に上る。避難当初の時期を中心に学校側が把握できていないいじめも多いはずだ。松野博一文科相も記者会見でその点を認めている。もっと早く国が実態把握に乗り出し、対策を講じていればいくらかは防げたに違いない。

 国が重い腰を上げたのは昨年11月だった。横浜市に自主避難していた中1男子が、小学生の時、「菌」呼ばわりされ、殴られたり約150万円をせびられたりしていたことが分かった。他にも各地の学校で相次いで発覚し、国はことし3月に遅ればせながら、各教育委員会に未然防止と早期発見を指示した。

 背景には、原発事故や避難者に対する理解不足があるのではないか。横浜のケースでは、いじめた側は「賠償金あるだろ」と言い放った。自主避難者には東電からの定期賠償はなく、多くが苦しい生活を強いられている。これを、子どもの無知と片付けてはなるまい。

 誹謗(ひぼう)中傷や誤った認識が広がっているのは周りの大人の影響か、それとも社会の空気か。政治が招いた一面もあるのではないか。それを強く感じさせたのが今村雅弘復興相の発言だ。

 先週の記者会見で故郷に戻れない自主避難者への国の対応を問われ、「本人の責任」「裁判でも何でもやればいい」と述べた。福島県民ならずとも怒りを覚えた人も多いはずだ。被災者団体から数万筆の辞任要求署名が出されたのも無理はない。

 慌てて発言を撤回した今村氏だが、反省しているかと思いきや、おとといの衆院特別委員会で、避難を「自主判断」と言い換え、「(それには)当然責任がある」と話した。この人には現実が見えていないようだ。

 自主避難者も、まぎれもなく「被害者」である。一方、国には原発を国策で進めてきた重い責任がある。国に賠償を命じた先月の前橋地裁判決でも指摘されたように、東電とともに安全規制を怠った国は、どこまでも償い続けねばなるまい。

 だが原発再稼働や福島での避難指示解除を急ぐ国の姿勢は、事故を過去の出来事としたいようにさえ映る。経済最優先の考えをいつまで続けるのか。

 子どもは社会を映す鏡だといわれる。福島の被災者を孤独にしてはならない。いわれのない差別や偏見、国の冷たい仕打ちに苦しめられたのは、広島と長崎の被爆者も同じだった。事故当初、多くの人が誓った福島の人々に「寄り添う」気持ちを今あらためて胸に刻みたい。

(2017年4月13日朝刊掲載)

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