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[つなぐ] 広島県国際交流員 鄭アルムさん=韓国・大邱市出身

朝鮮通信使に思い寄せ

 広島市中区の平和記念公園にある「平和の時計塔」は、毎朝、8時15分にチャイムが鳴り響く。広島県の国際交流員、鄭アルムさん(29)たちが昨夏制作し、インターネットで公開する広島の「今」を伝える動画の冒頭場面だ。

 タイトルは「きっともっと楽しい広島」。4分半の映像には、宮島の弥山から見渡した瀬戸内海の風景や、広島東洋カープの応援で盛り上がるマツダスタジアム、壮大な花火大会の様子を盛り込んだ。「平和だからこそ、楽しめることがたくさんある」。鄭さんは、そう力を込める。

 2015年4月、外国青年招致事業(JETプログラム)の国際交流員として県に派遣された。事前に希望した赴任地は福岡や沖縄。広島は念頭になかった。「原爆が落ちたことや、お好み焼きぐらいしか知らなかった」

 業務は幅広い。学生や市民を対象にした国際交流事業で講師を務めるほか、資料の翻訳や湯崎英彦知事が韓国で広島観光をアピールする際の通訳なども。毎週木曜には中区のひろしま国際センターで、日本語がよく分からない韓国人の生活相談にも応じる。

 県被爆者支援課から依頼される仕事も重要な任務だ。韓国で暮らす被爆者からの、被爆者健康手帳の交付申請手続きなどを手伝うこともある。国際電話で母国語で話しかけると「広島からかけてくれているんですね」「あの時は大変だった」と、せきを切ったように話す人が多いという。

 相手の声の調子を聞き分けて「つらかったでしょう」などと言葉を慎重に選ぶ。戦争が終わり、独立する祖国の歴史の中で学んできた「ヒロシマ」についても深く考えるようになった。原爆資料館に何度も通い、焦げた弁当箱や制服を見て「もし私があの場所にいたら」と思った。韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、同胞の犠牲者がたくさんいたことも知る。

 出身地は広島市の姉妹都市でもある大邱(テグ)市。思春期のころからテレビや雑誌で日本のアニメやアイドルに親しみ、「日本語が分かるようになりたい」と思った。独学で平仮名と片仮名を覚え始め、ソウルの韓国外国語大で日本語を専攻。大学院でも通訳、翻訳のスキルに磨きをかけた。

 広島に来て感動したことがある。呉市下蒲刈町や福山市鞆町で、江戸時代に日本の人たちと親善交流を重ねた朝鮮通信使の足跡が、今も大切に受け継がれていることだ。両国の人たちが手を携え、ゆかりの史料を世界記憶遺産に登録する動きがある。「登録が実現すればルートをたどる韓国人の観光客も増える」と期待を寄せる。

 ことしの目標は市民交流にもっと積極的に参加することだという。「日韓の歴史的なわだかまりを消すことはできない。でも、私たちの世代が変えることはできる」。自身をかつての朝鮮通信使一行の姿に重ね、未来志向で橋渡し役を担う。(桑島美帆)

(2017年4月17日朝刊掲載)
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