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社説・コラム

天風録 「鯉城の懸魚」

 石垣や天守などが見事であるのは言うまでもない―。安土桃山時代、東国から九州への道すがら広島を通り掛かった武将が、そんな言葉を書状につづっている。築かれて間もない広島城を仰ぎ見て感嘆したらしい▲三角形の破風(はふ)屋根を飾る「懸魚(げぎょ)」にも目を留めただろうか。変わった名前の飾り板は、火伏せのおまじない。水と関わりの深い魚を図案化したものといい、火事を防ぐようにと願って、今でも寺社の屋根に付けられる▲おまじないも昭和の戦火には効き目がなかった。原爆で鯉城(りじょう)は姿を消してしまう。でも天守閣は火で焼け落ちたのではない。爆風で低層階の柱がやられ、倒壊したとみられる。被爆から72年。城のものと伝わる懸魚が二つ見つかった▲がれきとなっても国宝の城の部材は今なら全て回収するはず。だが焼け野原である。困窮した人々が持ち帰る。住まいに使ったり、燃やして暖を取ったり。ほとんどが失われた中、懸魚と瓦数点を市民が保管していた▲見つかったのは天守でなく、櫓(やぐら)の屋根を飾ったもののようだ。それでも城の面影をしのばせ、災いのない世への祈りを感じさせる。さて今、核開発を防ぎ、廃絶するおまじないはないものか。

(2017年4月22日朝刊掲載)

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