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広島の原爆資料館 見せ方模索 展示角度40度/子ども等身大パネル

 原爆資料館(広島市中区)が、常設展示の全面見直しを進めている。先月に改装オープンした東館では展示台の角度を工夫したり、犠牲になった子どもの等身大パネルを立てたりと、被爆資料の見せ方に工夫を凝らす。被爆から72年。来館者の心に一層訴え掛ける展示を目指し模索を続ける。(野田華奈子)

 「小さな体を焼かれ、どんなにつらかっただろう。核兵器のもたらす悲惨さを世界中の人が知るべきだ」。米カリフォルニア州から訪れた会社員ソフィア・ギルバートさん(34)は東館の仮設展示で、被爆時に子どもが着ていたワンピースを見つめ、何度も涙を拭った。

向き合う感覚を

 ボロボロに破れたその衣服を置く展示台は、40度の角度で立つ。「資料との距離が近くなり、着ていた人の姿を想像してもらえる」と資料館学芸課。学芸員が試行を重ね、留めなくてもずり落ちない範囲で、向き合う感覚を保てる角度を導き出した。着ていた雰囲気が伝わるよう、置き方も膨らみを持たせた。

 「あの日」、きのこ雲の下で何が起きたかを伝える資料館。被爆資料や犠牲者の遺品を中心にその実態を伝える本館と、核兵器の非人道性など原爆に関する幅広い知識を学んでもらう東館が役割分担をしながら、来館者に発信してきた。

 市は分かりやすい展示を目指し、2014年に全面改修に着手。先行して改装した東館が4月26日に開館し、入れ替わりで本館が閉鎖した。09年度以降、リニューアルに備えて4人増やした7人の学芸員がこの間、展示手法を巡って意見交換や試行を重ねてきた。

 本館の閉鎖中は、東館の企画展示室を仮設の展示場とし、被爆資料や遺品計52点を紹介する。スペースが限られる中、「より伝わる手法」を探る。

 例えば、本館から移した焼けた三輪車。そばには、三輪車で遊んでいて原爆死した男児が姉と写るあどけない写真を、等身大のパネルに引き伸ばして置く。制服などの遺品に、遺族から聞き取った最期の言葉を添えて紹介するコーナーも設けた。犠牲者一人一人の命や遺族の苦しみを感じてもらうための工夫だ。「データではなく人に視点を置いた。見る人が資料に丁寧に向き合い、自分の生活に引き寄せて思いをはせられるように工夫した」と、落葉裕信学芸員は明かす。

定期的入れ替え

 被爆資料や遺品など約2万点を収蔵する資料館。被爆70年の節目となった15年度には前年度の約4倍となる857点が寄せられた。寄贈した被爆者や遺族から学芸員が聞き取ったエピソードも含め、膨大な蓄積がある。だが、本館の常設展示は、東館開館に合わせて1994年に見直して以来、大きくは変わっていなかった。

 資料館は今回、東館の仮設展示に合わせ、収蔵庫から新たに40点の実物資料を取り出した。今後は資料の定期的な入れ替えを検討していく方針だ。

 16年度の来館者数は173万9986人と過去最多を記録。外国人観光客を含めて来館者が増え、存在感は高まる。今後改装を進める本館について志賀賢治館長は「犠牲者の生きた証しを伝え、被爆者が見た惨劇を追体験してもらえるような施設を目指す」と語る。

原爆資料館
 1955年に本館、94年に東館が開館した。広島市は、国重要文化財の本館の耐震化を進め、被爆の惨状や核兵器の非人道性をより分かりやすく伝える施設を目指し、2014年3月に全面改修に着手。東館は同年9月に展示スペースを閉じて改装し、この4月26日に再び開館した。同日閉鎖した本館は内部改修と耐震化を進め、18年7月のオープンを目指す。耐震化工事は19年7月末まで続く。総事業費は70億3600万円。

(2017年5月14日朝刊掲載)

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