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社説・コラム

『潮流』 「原爆詩集」を読み直す

■論説委員 森田裕美

 京橋川からの爽やかな風が頰をなでる。先月末、広島市中区の川沿いに立つ「平和アパート」を訪ねる機会があった。市が被爆後初めて建てたコンクリート造りの市営住宅。「原爆詩集」で知られる峠三吉が1950年から53年に亡くなるまで暮らした場所だ。

 ここで新しい時代を夢見て創作を続け、仲間を率いて文化運動にいそしんだ。峠はどんな風を感じたのだろう。想像が膨らんだ。

 ことし生誕100年の峠の取材を始めて以来「原爆詩集」は愛読書の一つになった。世界に名を知られる峠が生前刊行した、たった一冊の詩集である。

 重苦しいタイトルと「ちちをかえせ ははをかえせ」で始まる「序」のインパクトから、これまで知っているつもりで、きちんと向き合ってこなかった。

 ひとたびページをめくると、心が大きく揺さぶられた。被爆の惨状は知らないのに、きのこ雲の下の地獄を追体験させられているような―。

 昨年岩波書店から刊行された文庫版の解説で、詩人のアーサー・ビナードさんは峠を「日本語をヒバクさせた人」と説く。放射線が人体の細胞を破壊するように言葉の力で、読み手に体験者との境界線を越えさせるということらしい。なるほど、私はヒバクした言葉を体内に取り込んでしまったのかもしれない。

 老朽化のため、市は平和アパートを解体する方針だ。被爆から72年。当時を知る人も少なくなるばかりだ。被爆者が亡くなり、建物など形あるものが姿を消してもなお残るのは「言葉」なのだろう。

 「河のある風景」で、峠はうたう。<白骨を地ならした此の都市の上に/おれたちも/生きた 墓標>

 私も平和アパートから、川を眺めた。ビルが立ち並ぶ風景に、あらためて思った。「原爆詩集」がもっと読まれますように。

(2017年6月17日朝刊掲載)

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