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社説・コラム

天風録 「70年後の反省」

 漫画家を夢見て、上京していた中沢啓治さんに母の訃報が届く。広島に戻ると、兄が憤慨している。亡きがらの解剖をしつこく迫る相手を追い返したという。ABCC、今の放射線影響研究所(放影研)の申し出だった▲当時の心情を本紙につづっている。<さんざん原爆で苦しめられ、死んでまで原爆の材料にされてたまるか>。この時の怒りが原爆を描く転機となった。代表作「はだしのゲン」でもABCCの4文字には繰り返し、恨みつらみの矛先が向いている▲その放影研が広島できょう催す設立70年式典で、反省の念を示すらしい。「調査すれども治療せず」と長らく、批判を浴びてきた。被爆者の多くが世を去っていることを思えば、なぜ今なのだろう▲視力の衰えでペンをおいた中沢さんは生前、「ゲン」の続編を思い描いていたと聞く。頭には原発の問題があった。東日本大震災で放射線災害に見舞われた、唯一の被爆国の体たらくをどれほど悔しがっていただろう▲放影研は今なお、超大国の核戦略に位置付けられている。一体、何のための研究なのか―。中沢さんたち被爆者の疑念はその一点だろう。「70年後の反省」の理由を超大国に問うてみたい。

(2017年6月19日朝刊掲載)

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