社説・コラム

『私の学び』 ホロコースト記念館館長 大塚信さん

自ら行動 平和をつくる

 福山市御幸町の聖イエス会御幸教会で牧師をしていた1995年、教会の敷地内に国内初のホロコースト記念館を開いた。第2次世界大戦中にナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人の歴史を伝えている。71年、初の海外旅行先で、アンネ・フランクの父オットー氏と出会ったことが転機だった。

 オットー氏はオランダ・アムステルダムで、迫害の体験を青年に語る活動をしていた。地獄のような体験をしたとは思えないほど、気さくな老紳士。「平和をつくるのは特別なことではない」と語る姿に突き動かされ、ユダヤ人の歴史を学び始めた。

 76年から1年間イスラエル・エルサレムに語学留学した。市内のバスに乗ると、つり革を持つ腕に数字が刻まれているホロコーストの生還者を多く見かけた。強制収容所では名前ではなく、数字で扱われていた印だった。「どうして人間は仲良く暮らせないのだろう」というアンネの問いかけは、今も深く考える。

 20代は各地の収容所などを訪ねた。一番の悲劇は600万人の被害者のうち、150万人が子供だったということだ。学んできたことが行動力に変わったのが94年ごろ。日本の若者がホロコーストを通して平和を学ぶ教育センターを造ろうと、世界各国の博物館や図書館に毎日4、5通手紙を書いた。

 各国から遺品などが送られてきた。現在、約60カ国から集まった、写真約千点、服や靴などの遺品約280点を所蔵している。2007年には新館を開いた。

 若者たちには「平和をつくる人になってほしい」と語りかけている。オットー氏の言葉だ。これまで幼稚園から大学まで、約800校が来館。地元の高校生は英語でボランティアガイドもしてくれている。

 今年4月、御幸教会に戻った。6月からはユダヤ人へのビザ発給で約6千人の命を救ったとされる外交官杉原千畝氏の特設コーナーを開設。オットー氏との出会いから自分の足で、見て、聞いて、感じてきたことが形になっている。これからも若者へ、無関心を装わず平和のため行動する尊さを伝えたい。(聞き手は高本友子)

おおつか・まこと
 1949年、京都市右京区生まれ。京都市内の神学校を卒業し、76年から1年間エルサレムに留学。京都府京田辺市の教会を経て、90年から19年間、聖イエス会御幸教会牧師。再度京都へ赴任し、今年4月に御幸教会に戻った。

(2017年6月19日朝刊掲載)
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