×

連載・特集

[つなぐ] バイオリニスト エカテリナ・シマキナさん=ロシア出身

戦争の悲劇 母国と同じ

 広島市と、大河ボルガ川の西岸に広がるロシア・ボルゴグラード市はことし、姉妹都市提携45周年を迎える。同市出身のバイオリニスト、エカテリナ・シマキナさん(32)=広島市安佐南区=は、その交流事業を民間から支える。

 姉妹・友好都市との交流事業を委嘱する広島市の「ヒロシマ・メッセンジャー」に昨年1月、就任した。小学校を訪れてロシア文化を紹介するほか、9月の「ボルゴグラードの日」には中区で記念イベントを開く。今年はロシアの若手音楽家によるコンサートや写真展も予定している。

 旧ソ連時代にボルゴグラードで生まれた。人生を方向付けたのは8歳の時。ソ連解体翌年の92年、学校を訪れた大人に同級生と一緒に手を調べられたという。指の長さが目に留まったからかバイオリニストの道を薦められ、音楽教室へ通うことになる。

 公立の芸術大へ進み、バイオリンを専攻する。ラフマニノフやプロコフィエフら、ロシアの作曲家の作品を中心に練習を重ねた。そして2008年、友人に誘われて来日し、レストランやバーで演奏して生計を立てた。日本の言葉や食事、慣習など全てがロシアと違う。すぐ帰国するつもりが12年夏、日本人との結婚を機に広島に根を下ろす。

 核大国ロシアでは「ヒロシマ」は誰もがよく知っている都市だ。しかし、きのこ雲の下の惨劇は、原爆資料館で初めて目にした。被爆死した子どもたちの遺品に触れ「戦争の意味も、人を恨むことも知らない小さな天使たちが、なぜ死なないといけないの」。涙があふれ、幼い頃から学んできた古里の悲劇と重なって見えたという。

 ロシア史に残る「スターリングラード攻防戦」である。かつてソ連の指導者スターリンにちなみ、「スターリングラード」と呼ばれたボルゴグラード。第2次世界大戦中の1942年夏、ナチス・ドイツの侵攻を受けた。翌年の2月まで市街地で爆撃や銃撃戦が泥沼化し、双方の死者が100万人ともいわれる激戦は多くの市民の命も奪った。

 「街は廃虚と化し、どの家も、家族の誰かを失った」。シマキナさんの曽祖父も、その戦いに加わった。400人の負傷者を治療し、勲章を受けたが、その後、戦死する。34歳だった。

 「人生はまだこれからだったはず。街が壊滅し、たくさんの人が亡くなったヒロシマとボルゴグラードは一緒」。曽祖父と同じ30代になり、悲劇で結ばれた両市の懸け橋役を務めることになったのも、運命のように感じる。

 最近は3歳の長女の子育てに追われる生活だが、いずれ音楽の世界に戻るつもりだ。「さまざまな情報があふれる今、いろんな価値観や文化を知っている人を育てることが大切だと思う」。音楽や芸術を通し、ヒロシマとボルゴグラードの若い世代の交流を活発にする構想を描く。(桑島美帆)

(2017年6月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ