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折り鶴の祈り 100歳今年も 平和公園に毎年3000羽 

 毎年3千羽の折り鶴を広島市中区の平和記念公園へささげている100歳の女性が、安佐南区にいる。原爆で妹を亡くした上原タカエさん。今年も30日、原爆の子の像へ供える予定だ。原爆や戦争で失った家族を思い、できる限り折り続けようと考えている。(下高充生)

 原爆が投下された当時、安佐南区沼田地区に住んでいた。4歳下の妹、上広鈴加さん=当時(24)=は、爆心地から約300メートルにあった鷹匠(たかじょう)町の薬局に住み込みで働いていた。強烈な熱線と爆風にさらされた薬局跡からは、遺骨や遺品は何も見つからなかったという。

 当日は府中町向洋地区にいて難を逃れ、戦後は6人の子どもを育て上げた。孫にも恵まれ、幸せに暮らしていた20年以上前、折り鶴と出会う。「どこで折り方を知ったか忘れたが、折ると体が元気になる気がした」。数が増えていく折り鶴を見て、家族を慰霊するため平和記念公園へささげようと思い立った。

 1日に折るのは最大50羽ほど。デイサービスを利用しない日を中心に、週の半分ほど作業する。15センチ四方の折り紙を9等分し、鶴を折る。糸を通し、3束の千羽鶴に仕上げる。「1年で作るにはちょうどいい量」と語る。

 母の上広わかさん(1974年に86歳で死去)は、鈴加さんを捜しに出掛けて入市被爆し、戦後は高血圧に悩まされた。きょうだい8人のうち、兄2人は沖縄などで戦死した。さらに、長女の渡辺文枝さん(2013年に75歳で死去)は安佐南区の戸山小で「黒い雨」に遭った影響か、晩年は白血病を患った。

 「折り鶴をささげ、家族に『元気にやっているよ』と伝え、安心して眠ってほしい」。タカエさんが折り鶴に託す思いはずっと変わらない。観光客が増え、騒がしさも感じる平和記念公園へ、ことしも足を運ぶ。

(2017年7月29日朝刊掲載)

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