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社説・コラム

『論』 埋もれるヒロシマ 生々しさや強い表現こそ

■論説委員 田原直樹

 ひっきりなしに人が行き交う東京・渋谷駅の、広く明るい通路に巨大な絵がある。片側の壁いっぱいの作品は、鮮烈な色彩や題材で目を引き、強い印象を与えるはずだが、誰一人目もくれない。

 眺めるうち、カメラを向ける外国人女性を見掛けた。米ニューヨークから来た写真家という。「メッセージがあって美しい壁画なのに。皆、忙しいのね」。数日観察しているが、誰も見ないと嘆く。

 岡本太郎が1960年代末に制作した原爆壁画「明日の神話」である。9年前に広島などとの誘致合戦の末、この「一等地」に落ち着いたものの、埋没している。

 「平和を考える千人の目」と、「毎日通行するだけの30万人の目」と、どちらが作者の心に近いのだろうか―。当時の本紙広場面に載った77歳の被爆者の疑念が、現実になったといえる。

 では広島に設置されていたら、どうだったろう。市民はもちろん大勢の観光客が絵の前に立ち、それぞれ思いをはせるに違いない。

 それでも、こんなふうにも思う。いつしか平和記念公園周辺のモニュメントの一つとなり、埋もれてしまうのではないか、と。

 あの日から72年。平和記念式典の準備が進む。70回を数え、内外の要人も集う巨大で管理されたセレモニーとなった。きれいに整った「聖地」は、生々しさなど薄らいで祈りの場となっている。歳月がたち、怒りや悲嘆が昇華されてしまうのは無理からぬことか。

 岡本はかつて著書「私の現代芸術」で疑問を投げ掛けた。「この町も、ここに集(あつま)る人も、平和・平和とお題目に泳いでしまっているのではないか」「この象徴的な土地に、碑や祭壇なんかもうけて、拝んだり、記念したりするから問題がズレるのだ」。あの芸術家らしい辛辣(しんらつ)な言葉である。

 被爆詩人も痛烈な表現をした。原爆ドームの保存が決まった翌年、栗原貞子は「曝(さ)らされる」と題した詩を詠んだ。その一節にある。「体重よりももっと重い多量な/泥状粘液に固められ/もう音をたてゝ崩壊することも/許されない/ドームは曝(さら)されて佇(た)ちつくす」

 被爆の「生き証人」であり、象徴でもあるドーム。世界遺産とされ、保存が重要であるのは言うまでもない。ここで訴えるのは、保存して安心してしまうような姿勢や風潮への危惧だろう。

 別の詩「夜」には死者たちの憤怒を代弁するような表現がある。「人らは碑をつくり/石やブロンズの像をきざみ/折づるをつるし/鎮魂の祈りを捧げたが/不眠の夜は深くなるばかりだ」

 鎮魂や祈りが無意味というのではない。過去のこととせず、もっと怒れと言うのだ。

 岡本や栗原の作品や言葉は、どれも半世紀ほど前のもの。しかし被爆の痕跡が街から消え、被爆者が減る今こそ、私たちが意識すべき問い掛けに思える。原爆に対する怒りや悲しみをどう感じ続けるか。慣れてしまわず常に新たにしていくか。

 いま一度、原爆被害の原点に戻り、生々しい被爆の実相に触れ、怒りや悲しみなどを呼び起こす必要があるのではないか。

 原爆資料館の東館地下に先月から被爆時の地表面が展示されている。黒く焼け焦げた地面、しゃもじなどが見え、何がどう焼かれたかを伝える。資料館の展示を巡っては、議論の末に人形が撤去された。個人的には残念だが、本館の内容は詰めているところという。知恵の絞りどころだろう。

 被爆直後の爆心地付近をバーチャルリアリティー(VR)で映像化する福山工業高の取り組みもある。暗闇に炎が上がり、がれきの中に遺体が横たわるあの日を、体験できる。リアルさの追求へ、目を背けたくなるような資料群を凝視した生徒たちが頼もしい。

 被爆地の訴えを込めた作品や表現は絶えず発信されてきたが、私たちが多忙のうちに埋もれさせてきたのではないか。核兵器使用の危機が今、高まる。「いったい、忘れようとするのか、絶対に忘れず、かきたて、思いおこし、再び現実に働きかけようと意志するのか」。岡本の問いを、壁画は発しているように思えるのだが。

(2017年8月3日朝刊掲載)

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