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社説・コラム

『想』 中山果奈 「教えてください」

 「建物疎開を知っているか」。昨年春、先輩の言葉で取材を始めました。建物疎開とは、空襲があった時に火災の延焼を防ぐため、建物を壊し防火帯をつくっておくことです。原爆投下時の広島でも、約8千人の中学生が中心となって行われ、6千人余りが犠牲になりました。私は広島出身ながら知らず、失望したことをよく覚えています。

 作業した女学生の心の苦しみは、私の想像を超えていました。ある人は、空を見上げた瞬間に被爆。顔の左半分にやけどの痕が残りました。痕のない友人を見るたびに、うらやましく、悔しく、6回も自殺を考えたと言います。写真撮影では顔の左側を隠すようにしましたが、もし写ったら、顔の部分を切り取りました。その人は理解ある夫に出会い、結婚しましたが、顔にケロイドが残った同級生の中には結婚や就職がかなわなかった人もいたそうです。

 その人の親友は、やけどの痕が顔に大きくは残りませんでしたが、被爆の影響で左肘が「くの字」に曲がったまま伸ばせなくなりました。大変な苦労をされたに違いありませんが、彼女は自身の身体よりも、友人に対する負い目に苦しみ続けてきたのです。自分が「飛行機が飛んどる」と声を掛けたために、友人たちが空を見上げ、顔にケロイドが残ったのでは、と。「死んでも地獄、生きても地獄」。その一言が忘れられません。

 13歳でその苦しみを背負わされたら、自分は耐えきれるだろうか―。私は、被爆者と目を合わせ話を聞いたことで、原爆が残した“心の傷”が初めて実感できました。その苦しみを「教えてください」と言うことが、いかに残酷かも分かっています。それでも覚悟を持ち、お願いし続けることが、放送局に勤める自分の使命だと思います。

 昨年8月6日は、建物疎開をテーマにしたラジオ特集を放送しました。今年の広島原爆の日の夜は、原爆ドーム前に訪れる外国人たちと、英語で伝え続ける胎内被爆者の三登浩成さんを追った特集をお送りします。(NHK広島放送局アナウンサー)

(2017年8月4日セレクト掲載)

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