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社説・コラム

天風録 『ドキュメンタリスト逝く』

 キタイスカヤというロシア名の大通りを覚えている。中国東北部の大都ハルビン。帝政ロシアが治めていた時代の面影が色濃い。赤い柱と白い窓の「外僑養老院」に、旧満州時代に渡った残留日本婦人を当方が訪ねたのは26年前である▲敗戦で寄る辺を失い、日本国籍のまま異国で耐え忍んできた人たち。やがて平穏な老後を迎えて望郷の念は募る。先んじてそれを世に知らしめ、永住帰国へ道筋を付けたのが、山口放送の磯野恭子(やすこ)さんだった。きのう訃報を聞いた▲広島県能美島に生まれ、小学6年で敗戦。広島も呉も近い。「そう、戦争が近かったんです」と晩年、本紙連載の「生きて」で回想していた▲ドキュメンタリーは作り手の人生を超えることはできない、という信念があった。人間魚雷「回天」の戦没学徒兵を巡る番組も制作したが、彼の妹宛てのノートを読んだ時、ああ、私も同じ時代の「妹」だ、と心震えたに違いない▲ハルビンで磯野さんは、岩国生まれの残留婦人が精いっぱい思い出した日本語を書き留めている。錦帯橋、忘れません、岩徳線、まだありますか―。あの戦争の終わりから72年の夏に旅立った人は、きっと天でもマイクを向けている。

(2017年8月4日朝刊掲載)

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