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社説・コラム

天風録 『しゃもじと平和』

 うち、今日は、おいもが入らへん―。そう言う娘に、母は自分のご飯を分けた。食べ終えるや、「行ってまいります」。女学校1年原田房子さんは72年前のきょう、建物疎開作業から帰らなかった。母親の談話が原爆資料館に残る▲ご飯はしゃもじで茶わんによそったのだろう。白米だったか、麦飯だったか。弁当箱にも詰めて送り出したに違いない。戦中で苦しくとも、広島のどの家もいつもと同じ朝を迎えたはずだった。しかし原爆が奪い去る▲地下にあの朝が眠っていた。被爆時の地表面である。資料館本館下の発掘で見つかり、東館に展示されている。地面には黒焦げの木材や金属製の台所用品、ガラス片のほか、形を保ったまま炭化したしゃもじが1本▲「敵を召し(飯)捕る」という語呂合わせでしゃもじは戦勝祈願にも使われた。だが民家や店が並んでいた旧材木町の地中から出た、黒い木切れは何を物語るか。戦争や核兵器の愚かさ、日常のかけがえのなさだろう▲平和記念公園の辺りには4千人以上が暮らしていた。ところが原爆投下時も公園だったと誤解する観光客が少なくない。奪われた日常が深さ70㌢ほどの足元に眠る地で、きょう平和記念式典。

(2017年8月6日朝刊掲載)

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