被爆証言

『記憶を受け継ぐ』 土井寛さん―まさに地獄絵 姉妹失う

土井寛(どい・ひろし)さん(83)=広島市西区

思い出したくない。ただそれだけ

 船舶(せんぱく)用ポンプなどを製造する地場企業(きぎょう)のシンコー(広島市南区)に約40年、技術者として勤めた土井寛さん(83)は原爆で姉と妹を失いました。11歳で遭(あ)った壮絶(そうぜつ)な体験は、手記にまとめたことはあっても、家族にも話しませんでした。72年の歳月(さいげつ)を経たこの夏、初めて公の場で語りました。

 三篠(みささ)国民学校(現三篠小)6年生だった土井さんは8月6日、体調を崩(くず)し、三滝(みたき)町(現西区)の自宅で過ごしていました。爆心地から2・5キロ。朝食後、茶の間で休んでいたら突然(とつぜん)、ものすごい力で押(お)し倒(たお)され、壁(かべ)土や板が降り注いできました。

 土ぼこりが舞(ま)う中、恐(おそ)る恐る起き上がると、奇跡(きせき)的に無傷でしたが、近くにいた母は、頭や腕(うで)、胸の右半身にガラス破片が刺(さ)さり、血だらけに。「直撃(ちょくげき)弾を受けた」と思い、防空頭巾(ずきん)をかぶって、弟と下の妹を連れ、裏山の段々畑へ逃(に)げました。通い慣れた三篠国民学校の校舎が、燃え上がり崩れ落ちるのが見えました。

 土井さんは5人きょうだいの2番目。姉と2人の妹と弟がいました。戦前、鉄工所を経営していた父親は1941年12月、海軍機関兵として召集され、43年11月にギルバート諸島の玉砕で戦死しました。さらに原爆が、一家のかけがえのない姉妹を奪(うば)ったのです。

 広島市立第一高女(市女、現舟入高)2年だった姉の良江さん(当時13歳)は材木町(現中区中島町)付近へ建物疎開(そかい)に出たまま、戻(もど)ってきません。土井さんは翌日、近所の人と一緒(いっしょ)に、爆心地周辺を歩いて姉を捜しました。

 市中はあらゆる物がつぶれ、焼き尽(つ)くされ、必死で親族を探す人が歩き回っていました。目も口も焼きつぶれた人や、裸(はだか)同然の女学生の群れが「水、水」とうめいています。本川の両岸の石段には、反り返る遺体や、空をつかむように手を広げたまま硬直(こうちょく)した遺体が上から下まで累々(るいるい)と並び、まさに地獄(じごく)絵でした。

 姉は市女の1、2年生約540人と一緒に犠牲(ぎせい)になったのでしょう。遺骨も見つかりませんでした。妹の千鶴(ちづ)さん(当時9歳)は、祖母と一緒に横川の病院へ向かう途中(とちゅう)、爆風(ばくふう)で倒れてきた家のはりの下敷(じ)きになりました。「孫を助けてください」。火の手が迫る中、祖母は通りがかりの人に頼(たの)みましたが、誰も相手にしてくれません。

 数日後、祖母と母が半焼けの状態で埋(う)まっていた千鶴さんの遺体を捜し出し、木々を集めてその場で火葬(かそう)しました。妹の遺骨とともに帰宅した母は、気が張っていたのか涙(なみだ)も流しませんでした。体を焼かれながら息絶えるまで、妹がどんなに苦しんだか。想像すると今でも胸が痛みます。

 家族の思い出が詰(つ)まった自宅は約40年前に取り壊(こわ)し、母と同じように無数のガラスが突(つ)き刺さったままのきりだんすを99年、原爆資料館に寄贈(きそう)しました。今春まで国内外から訪れる人たちに、爆風のすさまじさを示してきました。

 マンションが立つ自宅跡(あと)では今、庭にあった被爆したちょうず鉢(ばち)が静かに、当時の痕跡をとどめています。昨年、マンションの一角に開いたギャラリーでは、地域の人が絵や工芸品を思い思いに展示し、交流の輪が広がっています。

 「思い出したくない。ただそれだけです」と繰(く)り返し、淡々(たんたん)と記憶を語った土井さん。最後に「とにかく戦争がいけない。お互いを理解し、人と人がつながることが平和の基(もとい)になる」と前を見据(す)えました。(桑島美帆)

私たち10代の感想

生涯消えない傷と実感

 私より三つ下の少年だった土井さんの被爆体験は、生涯(しょうがい)消えることのない深い傷になっているのだと思います。もし私が家族を失ったら、悲しくて耐えられません。「語りたくない」と繰り返す一方で土井さんは、写真や家の見取り図も準備し、真剣(しんけん)に話してくれました。決断には迷いもあったはずです。その思いを無駄(むだ)にしないよう、家族や友達に伝えていきたいです。(中3川岸言織)

身近な場所の惨状 胸に

 本川は、学校に行くときに通る身近な場所なので「雁木(がんぎ)の石段に遺体が積み重なっていた」という土井さんの言葉がずっと耳に残っています。取材後、あらためてその場所に立ちましたが、今の美しい川景色から土井さんの見た光景は想像できませんでした。それでも、被爆証言に出てくる場所を訪れたり、当時の写真を見たりすることで被爆者の記憶(きおく)に寄り添(そ)おうと思います。(高1藤井志穂)

(2017年8月8日朝刊掲載)
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