連載・特集

[詩(うた)のゆくえ] 第4部 響け平和へ <4> 文化人類学者・現代美術家 小田マサノリさん

民の中から 湧き上がる言葉 時超え伝わる

 東京都内などの大学で教える学生は千人近い。傍らで、社会を風刺する現代アートを手掛け、反戦や反原発運動をけん引してきたアクティビスト(活動家)でもある。気鋭の行動派学者が心を砕くのは、「誰にも響く言葉や表現の発信」だ。

 原点の一つが、旧制松江高で学び、戦後に雑誌「暮しの手帖」を創刊した編集者花森安治(1911~78年)の言葉という。70年に同誌へ載った400行を超す詩「見よぼくら一銭五厘の旗」もそう。「昭和20年8月15日」の敗戦を振り返り、25年たった戦後民主主義の揺らぎを自戒しながら問う。公害など新たな問題にも直面した頃だ。

 さて ぼくらは もう一度/倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から/おしまげられたり ねじれたりして/錆(さ)びついている<民主々義>を 探しだしてきて 錆びをおとし 部品を集め しっかり 組みたてる/民主々義の<民>は 庶民の民だ/ぼくらの暮しを なによりも第一にするということだ

花森はさらに続ける。

 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら 企業を倒す ということだ/ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 政府を倒す ということだ/それが ほんとうの<民主々義>だ

 「誰に対しても忖度(そんたく)しない、自分の内面から湧き上がってきた言葉。だからこそ、読み手に響く」と小田さん。戦中、花森は大政翼賛会の宣伝部にいた。「戦後はプロパガンダの使い方を百八十度変えた。『見よ―』も中立的とはいえないが、そもそも詩をはじめとする文学って、自由で縛られないものだと思う」

 花森の詩を思い起こしたのは、2003年のイラク戦争の時だった。各地で反戦運動が起き、被爆地広島でも約6千人が「NO WAR(戦争) NO DU(劣化ウラン弾)!」の人文字をつくって抗議の意思を示した。

 小田さんも、友人の美術家やミュージシャンと都内でデモを展開した。トラックから音楽を流して練り歩く、斬新なサウンドデモ。自身もドラムを打ち鳴らして加わった。

 掲げる旗やプラカードに描いたのは「殺すな」のロゴだ。ベトナム戦争さなかの67年、画家岡本太郎がデザインし、米紙ワシントン・ポストに反戦の意見広告として掲載された。

 「自分の反戦意識の源泉を考えた時、過去のものになりかけていた花森や岡本の言葉にたどり着いた」という。「デモは怒りや心の痛みを可視化させ、同じ思いの人がいることを確認できる場。今起きていることに対して、リアルタイムで自分の考えをどう発信していくか。言葉や現代アートには、時代を捉え、人を動かす力がある」

 11年の福島第1原発事故後も国会や首相官邸前のデモに参加してきた。「世代交代が必要」と2年前に一線から退き、今は大学の講義に熱意を注ぐ。文化人類学をはじめ、芸術、メディア論など内容は幅広い。

 講義の一つ「メディアと現代社会」では、これからの表現が「文字や言葉よりも、映像になっていく」と説く。被爆地広島、長崎でも、バーチャルリアリティー(VR)や拡張現実(AR)の技術を活用し、「あの日」を追体験する取り組みが進みつつある。

 「言葉がどう並走していけるか。映像にはできなくて、言葉にしかできないものは何か。その逆も含めて見極め、原爆や戦争の体験伝承も考えていかなければ」

 今、どの国の政治も「独裁っぽくて、危うい」と感じる。「でも、『ぽい』ものは見破られ、変わっていく。僕はそれを見届けたい」。花森の詩のような、時を超えて響く言葉を物差しにして。(林淳一郎)

おだ・まさのり
 1966年福岡県生まれ。89~96年にアフリカで文化人類学の調査に従事。現代美術家として「横浜トリエンナーレ2001」などに出品し、「イルコモンズ」名義でも活動する。東京外国語大などの非常勤講師。東京都在住。

(2017年8月9日朝刊掲載)
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