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戦艦大和のメッセージ 記念シンポに寄せて <下> 東京大大学院教授(日本近現代史) 加藤陽子氏

「あの戦争」再定義の鍵

 後に、「大和」と呼ばれる戦艦が起工されたのは1937年11月であり、進水は40年8月のことである。起工の時期はといえば、中国の北京郊外・盧溝橋で37年7月の偶発的な武力衝突から始まった日中戦争の途上であり、日中両軍による死闘が華中の地・上海で展開されていた時期に当たる。

 かたや、進水の時期はといえば、第2次世界大戦中であり、イギリス屈服を目前とみたドイツの、次は米国をけん制したいとの期待、また、ドイツに屈服したフランス・オランダの東アジアにおける植民地を勢力圏に入れたいとの日本の利害が一致し、40年9月に日独伊三国軍事同盟が締結された1カ月前に当たる。

 「大和」は、ワシントン条約とロンドン条約という二つの海軍軍縮体制からの離脱を34年に表明した日本が、イギリスと米国という二大海軍国に有効に対抗するための切り札の一つであった。ならば、日本の対英米戦争を支える柱としての「大和」が、中国大陸を舞台とする日中戦争と、欧州を舞台とする第2次世界大戦のさなかに、建造されていたこと自体、興味深いことではないだろうか。

 ある世論調査によれば、45年8月15日に終結した戦争について、「日本がなぜ戦争をしたのか、自ら追及し解明する努力を十分にしてきたと思うか」との問いに対し、65%が今なお不十分だと答えている現状がある。これだけ多くの日本人が、「あの戦争」が再定義されたと感じていないというのは衝撃的だろう。日中戦争と太平洋戦争という二つの戦争の関係性を、「大和」建造期の時代背景から捉えることで、「あの戦争」を再定義したい。

かとう・ようこ
 60年埼玉県生まれ。東京大大学院博士課程単位取得。山梨大教育学部助教授などを経て、現職。専門は日本近現代史。「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版社)で小林秀雄賞受賞。

(2017年8月9日朝刊掲載)
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