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連載・特集

[詩(うた)のゆくえ] 第4部 響け平和へ <5> シンガー・ソングライター 加藤登紀子さん

歌は会話 託した思いが 心に種をまく

 今年の8月6日も、原爆ドーム(広島市中区)の姿を映す元安川の水面に、この歌の合唱が響いた。

   愛を浮かべて川流れ/水の都の広島で/語ろうよ川に向って/怒り、悲しみ、優しさを/ああ、川は広島の川は/世界の海へ流れ行く

 漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さん(1939~2012年)が残した未発表の詩に、人気作曲家の山本加津彦さん(38)がメロディーを付けた「広島 愛の川」。3年前、中沢さんが生前ファンだったという加藤さんが歌い、CD化された。

 以来、8月6日に原爆ドーム近くの川岸で、山本さんの呼び掛けに応じた広島の子どもたちが合唱している。今年は歌手の島谷ひとみさん、二階堂和美さん、財満光子さんらも駆け付け、歌声を合わせた。

 「胸の内にあったものとぴったり重なり、すぐに決断した」。加藤さんは歌唱の依頼を引き受けた時のことを振り返る。当時、「はだしのゲン」を巡り、小中学校への閲覧制限要請が物議を醸していた。山本さんが届けた「広島 愛の川」の試作を聞いて感動すると同時に、ゲンを排斥しようとする動きへの怒りが背を押したという。

 中沢さんは漫画で被爆の惨状を訴えるだけでなく、「なぜ原爆が投下されたのか」とゲンに問わせ、米国や日本の政府、軍隊を厳しく批判した。レコーディングの朝、加藤さんは漫画を読み返し、急きょカップリング曲として「語りヴァージョン」を制作。作中の言葉を抜き出して再構成し、原爆投下の背景と今なお続く被害の怖さをピアノ演奏に乗せて語った。

 「歴史の転換点に生まれたことへのこだわりが、50年余りの歌手人生を突き動かしてきた」。旧満州(中国東北部)のハルビンで生まれ、1945年、2歳になる前に日本が敗戦。3人の子どもと命懸けで引き揚げた母の「あなたはいい時に生まれてきてくれた」という言葉が、ずっと頭を離れなかった。「国家権力よりも国民の命が未来を築くということを、自分の人生で証明しなければ―と思ってきた」

 国の違いや敵対関係をも乗り越える「歌の力」を信じる。「歌は言葉であり、体温を伴う会話。お互いを隔てる距離、空気、歴史がある中で会話することは、歌の大きなミッション」。91年に広島市で開かれた広島平和音楽祭では、作詞作曲した「Hiroshima」を発表。米国、韓国、沖縄の歌手らと、いまだ戦争の絶えない世界へメッセージを発した。

 愛するものを抱きしめ 生きている喜びを/飢えと不安と憎しみで 無残に壊してゆく/世界中のヒロシマ 泣き叫ぶヒロシマ 繰り返されるヒロシマ/Hiroshima

 昨夏、多くの若者が集うフジロックフェスティバル(新潟県湯沢町)を前に、「音楽に政治を持ち込むな」という批判がネットで広がった。安全保障関連法に反対した学生団体のメンバーが登壇することへの反発が発端だった。自らも出演した加藤さんは「意図的な妨害」と、この批判を退ける。政治信条を含め、「アーティストが自分の思いを込めた歌はバリアーを超え、人々の心に種をまく」。その力を肯定するゆえだ。

 中沢さんの激しい思いが噴き出す「はだしのゲン」に比べ、「広島 愛の川」の詩は穏やかな叙情性に満ちる。「毎日口ずさんでもいい、心が癒やされる歌」。だが、表現は違っても、物言わぬ川に託した中沢さんの思いは一つに違いない。

 「川に向かって歌う子どもたち一人一人の胸の内は分からないけれど、心にすみ着くものがきっとあるはず」(西村文)=第4部おわり

かとう・ときこ
 1943年、中国・ハルビン生まれ。65年、東京大在学中にアマチュアシャンソンコンクールに優勝し、歌手デビュー。代表曲に「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」「百万本のバラ」など。

(2017年8月10日朝刊掲載)

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