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Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第47号) 高校生の原爆劇

 高校の演劇部で戦争や平和をテーマに扱(あつか)うことが全国で増えています。それは広島発の取り組みが一つのきっかけだったといえるかもしれません。原爆投下から72年を迎(むか)えたこの夏、ジュニアライターたちは、先輩たちから原爆劇の伝統を受け継(つ)ぐ舟入高(広島市中区)と沼田高(安佐南区)の演劇部を取材しました。部活の練習と今月、市内であった原爆劇の本番の舞台(ぶたい)に密着。同世代の演技を通して被爆者の苦しみや、復興(ふっこう)の力強さを心で感じることができました。高校生の原爆劇は10代の目線でヒロシマや戦争のことを考え、次世代に伝える「媒体(ばいたい)」としての役割を担っているのでしょう。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学生と高校生の27人が、自らテーマを考え、取材し、執筆しています。

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被爆者の苦悩 演じ切る

沼田高 「風の電車」 一番電車の女学生 モデル

 沼田高の演劇部は今月5日、「ピースアクションinヒロシマ」(日本生協連、広島県生協連主催)が開かれた広島グリーンアリーナ(中区)で、「風の電車」を上演しました。戦時中の労働力不足の中、路面電車の運転士になり、原爆投下の日も電車を運転していた女学生の話を基にした創作劇です。

 主人公の藤川夏恵は「神国日本のため」立派な運転士を目指します。大好きな母と妹を乗せる日を夢見て一生懸命(いっしょうけんめい)仕事に励(はげ)みますが、原爆が投下されて、2人を亡くします。そして、乗客が死んだのに生き残った自分を責め、運転する気力も失うのです。劇では夏恵が一番電車を走らせ、前に進み始めるまでを描(えが)きます。

 7年前に原爆劇を取り入れた同部は毎年、ヒロシマを題材にするか、何度も話し合うそうです。顧問(こもん)の松本誠司教諭(きょうゆ)(54)は「演劇は、見てもらう人に社会や地域の課題を考えてもらう役割があり、原爆劇もその一つだ」と説明します。

 夏恵の妹役を演じた高2の松陰未羽さん(17)は「高校演劇は人が動き、力強さを表現する唯一無二(ゆいいつむに)のもの。重たい気持ちではなく、使命感を持っている」と言い切ります。希望の光として一番電車が走る場面では、部員が一斉(いっせい)に舞台に集まり、体を大きく動かして力強く歌います。復興に向かう人々の様子が伝わってきて、心を動かされました。(高2中川碧)

主演 河南ひかりさん 戦争は「絶対だめ」

 主役の高2の河南ひかりさん(16)は本を読んだり写真を見たりして、戦時中の人々がどんな物を食べ、何がはやっていたのかなどを調べて役作りをするそうです。史実を把握(はあく)し、当時の人の気持ちに近づくためです。原爆劇に賛否両論が出る中、河南さんは「続けた方がいい」と言い切ります。若い世代が戦争や平和に関心を持たないことに危機感を抱(いだ)いており「戦争は絶対にだめなんだ」と伝えるためです。

 さらに部活動を通じ、シリアなどの紛争(ふんそう)地域にも関心を寄せるようになったそうです。「私たちの幸せな暮らしは過去の人の努力で成り立っている。平和を当たり前と思わず、世界へ広げるためにできることを考えてほしい」と河南さん。一番電車を運転する場面では、胸を張って前を見据(みす)えます。生き生きとした演技に、平和への強い思いを感じました。(高2上岡弘実)

演出 日野七海さん 傘や布揺らし躍動感

 演出でもさまざまな工夫がされていました。演出チーフを務めた高2の日野七海さん(16)は「私たちのイメージがお客さまにうまく伝われば良い舞台になる。なるべく見ている人が想像しやすい演出を心掛(が)けている」と話します。

 オレンジや青など照明の色を変えて、朝夕の時間を表現。原爆が落ちた場面では、炎(ほのお)のように真っ赤な照明を背景に、電車内で亡くなった人の影が浮(う)かび上がり、悲惨さが伝わってきて特に印象に残りました。

 劇中、みんなで歌う場面では、傘を回したり布を揺(ゆ)らしたりして躍動(やくどう)感を演出。私も劇の中に入り込んだように感じました。「みんなで一つのものを創り上げる」という目的を共有し、練習を重ねることで、歌や演技の力強さが増すそうです。同世代が劇を通してヒロシマを伝えていることはすごいと思います。これからも引き継がれてほしいです。(高1岡田日菜子)

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舟入高 「一輪の花の幻」 原民喜の生涯を描く

 半世紀近く原爆劇に取り組む舟入高演劇部。今月6日も、市主催(しゅさい)の平和文化行事があった広島国際会議場(中区)で、全国から集まった観客を前に創作劇「一輪の花の幻(まぼろし)」を発表しました。被爆作家で詩人の原民喜の生涯(しょうがい)や苦悩(くのう)を描きます。

 原爆がさく裂(れつ)する場面では、地をはう女学生や、歩けなくなった男性が現れます。会場は一瞬(いっしゅん)にして重苦しく張(は)り詰(つ)めた雰囲気に包まれました。女学生の「助けて」という小さなうめき声。最前列で見た私は、自分が助けを求められているかのように感じました。

 民喜が存在意義を見いだす場面では、心の叫(さけ)びがビリビリと伝わり、息をのみました。「僕にはある」と何度も繰り返されたせりふが耳に焼き付いています。

 同校の前身は、広島市立第一高女。あの日、建物疎開(そかい)に参加していた1、2年生約540人と教職員が犠牲になりました。根底にはその体験がありますが、原爆劇を続けるかどうかは毎年、部員同士で議論します。「伝統をプレッシャーに感じている生徒もいる」と顧問の須崎幸彦教諭(61)。「心から原爆劇に向き合わないのなら、歴代の先輩に失礼だ」という意見も出るそうです。

 1年の松田紗来さん(16)は「被爆者がどう感じるかは分からないけれど、もっと被爆証言を聞くなどして、自分なりに時代背景をしっかりつかみたい」と強調します。平和に携(たずさ)わる方法は一つではなく、自分にできることをすればいいのだ、とあらためて感じました。(中3佐藤茜)

主演 大野恭敬さん 生きる衝動 表現した

 原民喜を演じる高2の大野恭敬さん(17)は「ヒロシマの史実だけでなく、1945年8月6日に生きていた人間そのものを見てほしい」と訴(うった)えます。

 妻の死で生きる気力を失い、被爆後に代表作「夏の花」を書き上げた民喜について「多くの人の死を目にしたことで、生きようという衝動(しょうどう)に駆られた。原爆によって生かされた人」と感じ、役作りをしました。

 原爆が投下された場面では、一瞬にして人々の心も廃虚と化した広島を表現するため、大野さんは心の底から湧(わ)き上がるような声を出していました。

 演劇部員は、人間の葛藤(かっとう)や内面を表現するため、ふだんからダンスや運動をして体や心を鍛(きた)えるそうです。「全国大会で上位を目指すことで、原爆劇を多くの人に見てもらいたい」と大野さん。今後は、部の中心となる2年生として、新たな原爆劇に挑みます。(中2岩田諒馬)

演出 仁井梨吏花さん 部員同士の議論重視

 「原爆劇を受け継ぐことを誇(ほこ)りに思う」という高3の仁井梨吏花さん(17)は、部員同士で話し合いを重ね、ヒロシマをしっかり理解することを大切にしています。「原爆を知らない世代なりに真剣(しんけん)に史実と向き合い、演じたい」との思いがあるからです。

 特に、自分たちより年下の世代が見に来ることを意識しているそうです。「私たちは戦争の一面を伝える媒体」と受け止めており、「ヒロシマの風化が進む中、次の世代に当時の人たちが感じていたことをしっかり伝えられる媒体になりたい」と力を込めます。

 被爆者の死や、苦しみもだえるシーンは、命を軽率に扱(あつか)わないよう心掛けています。仁井さんたちが全身全霊(ぜんれい)をかけて演技する様子を見て、これまで自分は、原爆や平和について取材し、記事を書く時、ここまで真剣に向き合ってきただろうかと考えさせられました。(高2上岡弘実)

舟入高元顧問 伊藤さんに聞く

戦争知らない世代が追体験

 約30年間舟入高演劇部の顧問を務め、ヒロシマの原爆劇の土台を築いた伊藤隆弘さん(78)=佐伯区=に、これまでの歩みや、10代が演じることの意義などを聞きました。

 同校の演劇部が初めて原爆劇を演じたのは1969年です。それまでは既成(きせい)の台本を選んでいましたが、68年に全国大会に初出場した際、ほとんどの学校が創作劇を上演していたことに刺激(しげき)を受けた生徒から「ヒロシマを題材にした劇を創ろう」という声が挙がったことがきっかけです。

 初めて演じた原爆劇は「白いキャンバス」という作品。病魔(びょうま)と闘う被爆2世の高校生を描きました。伊藤さんが当時の新聞記事からヒントを得て、ストーリーを考えたそうです。以来、被爆した女性教諭による平和教育の話や、被爆電車の物語など、さまざまな切り口でヒロシマを捉(とら)え、約30本、高校生向けの台本を制作しました。

 「悲惨さだけでは訴えるものがない」と伊藤さん。高校生が原爆劇を演じる強みは「戦争を体験していない世代が被爆者の苦しみや、何があったのかを理解し、追体験すること」と説明します。また、私たちのように、同世代の共感を得やすいことから、継承(けいしょう)の面でも大きな役割を果たしていると言います。

 被爆者が少なくなる中、原爆劇の役割が大きくなっていることを痛感しました。もっと多くの人が存在を知れば原爆劇に取り組む学校も増えると思います。(高2中川碧、岡田実優)

(2017年8月17日朝刊掲載)

【編集後記】
 広島から原爆をどう伝えていくのか。被爆者から直接証言を聞く機会が減っていく中、戦争を体験していない僕たちにとって、原爆に遭った人々の思いを想像するのは簡単ではありません。だからこそ、ただ伝えるのではなく、もし自分がそこにいたらどう感じていただろうかを想像し、身近な問題として深く考える必要があります。僕は、今回初めて原爆劇を見ました。その中で明るい雰囲気の場面や、重苦しい場面があり、当時の人々が、さまざまな思いを抱いていたことが分かりました。「原爆の史実だけでなく、その場にいた人間そのものを伝えよう」という強い意志を持つことが、原爆を風化させないための第一歩につながるのではないでしょうか。(岩田)

 原爆劇を観劇したのは、今回の取材が初めてです。通し稽古でも本番でも、その迫力に何度も鳥肌が立ち「もっと早く見に行けば良かった!」と、とても後悔しました。舟入高の舞台は最前列で観劇しました。女学生の「助けて」という小さなうめき声は、自分が助けを求められているかのように感じられ、それでもただ見つめ続けることしかできませんでした。きっと、当時生き延びた人の中にも同じ思いをした人がいたはずです。助けたくても助けられない。その思いは心の傷となって、一生残っていくのでしょう。身体にも心にも、生き残った人にさえも深い傷を残す原子爆弾が、とても恐ろしく感じました。ジュニアライターとは違う平和の発信方法には学ぶことが多く、自分の活動の刺激にもなり、本当に良い機会だったと思います。平和活動を難しく考えるのではなく、身近なことや自分ができることから始めればいいということを、もっと多くの人に知ってもらいたいです。(佐藤)

 私は自分と同じ高校生が、原爆という経験したことのない難しいテーマで劇をして、多くの人にヒロシマを伝えていることに感動しました。私も広島の学生として平和への呼びかけをしていきたいです。(岡田日)

 今回の取材は、同年代の話を聞くことが多く、刺激を受けました。私たちはジュニアライターとして、文字で原爆や平和について伝えますが、演劇は、視覚や聴覚に直接語り掛けることができます。徐々に被爆者から直接体験を聞くことは難しくなっていきます。原爆劇は、被爆体験を継承する有効な手段になると思いました。また、原爆劇を演じる高校生たちが、当時を深く知ろうと努力していることを知りました。(上岡)

 沼田高演劇部を取材し、練習しているところも見学しました。私と同じ高校生が自分たちで演出をして、何度も修正しながら原爆劇を創り上げることに感動しました。これから原爆劇がもっと広まって、続いてほしいと思いました。(中川)

 演劇は、原爆や平和についてたくさんの人が考えるきっかけになり、大きな役割を果たしていることを再認識しました。(岡田実)

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