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社説・コラム

『潮流』 白いマフラーの記憶

■報道部長 林仁志

 「散華(さんげ)という言葉に違和感を覚えませんか」。週刊誌だったか、月刊誌だったか、終戦の日の特集記事を示し、その人は問うてきた。

 海上自衛隊第一術科学校(江田島市)にある教育参考館の元館長、岡村清三さん。展示してある特攻隊員の遺書や遺品の取材を終えたときのことだ。25年前の夏。71歳の眼光が鋭くなった。

 散華。仏を供養するため花をまくこと、戦死を指す―などと辞書にある。

 国の大義を背負い、落命した人を悼む美しい言葉。岡村さんはそう言った。ただ、死地に赴く苦悩、肉親の慟哭(どうこく)はいかばかりか。思いを巡らせた上での言葉なのか、とも。

 参考館の展示品に隊員が残した白いマフラーがあった。生地に、先立つ不孝についてのわび言が血でつづってある。譲り受けるため、館長自ら名古屋の両親を訪ねた。父は激高したという。

 「あんたも同じ時代を生きた人間だろう。何を言っているのか分かっているのか」。無理もない。戦死者と家族を結ぶ数少ない品だ。不戦のため、後世への教訓のため、と説いても心には響かない。

 岡村さんは後年、その父母と再び会った。息子が一時期過ごした江田島を見てみたいとやってきたのだ。案内して回り、最後は脚の悪い母親を背負い呉駅まで送った。背中越しにか細い声がした。「踏ん切りがついた」。程なくマフラーが送られてきた。

 「遺品を手放す家族は、わが身を引きちぎられる思いだったでしょう」。岡村さんは嘆息した。だから戦死者を語る言葉には敏感、慎重にならざるを得ないのだ、と。

 戦争や犠牲者に真っすぐ向き合ってほしい。空疎な、飾った表現は慎みなさい―。述懐は若い記者への戒めでもあった。あのいくさが終わって72年目の夏。白いマフラーの記憶とともに、亡き岡村さんの言葉をかみしめている。

(2017年8月17日朝刊掲載)

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