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連載・特集

『生きて』 医師・広島大名誉教授 鎌田七男さん(1937年~) <11> 務め

続ける調査 知見を提言

  広島大原爆放射能医学研究所の在職時代から研究に基づき、社会的な調査や啓発活動を続けている
 1991年の発足時から務めているのが、広島県内の医療機関でつくる放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会の活動です。原医研所長に就いた97年から会長を2年間担い、今も海外からの専門医の研修に協力しています。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の日本支部理事も続けています。

 広島の経験や学問的な蓄積を国内外の人々に提供する。被爆地だからこそできる、しなければならない務めだと思っています。

 茨城県東海村の核燃料加工会社JCOで、99年9月30日に起きた国内初の臨界被曝事故を巡る調査と支援活動もそうです。「団長で現地へ行ってほしい」。原田康夫学長から当日夜に要請があり、原医研医療チーム(医師6人、技官1人)をすぐに人選しました。住民の早期の聞き取り調査が必須だと言いました。

 事故時の滞在場所や移動方法、飲食や雨に降られた時刻などの「個人行動記録調査票」を作成。茨城県保健予防課に示すと、混乱を理由にいったんは退けられたが、原医研案を基に近距離住民の調査が行われました。チームは健康相談にも当たった。放射性物質が空中に上がったとするテレビ報道が不安を増幅させ、布団持参で来る人がいたほどでした。

 事故の前に、「人体の放射線被曝の推定方法」を発表し、国の放射線医学総合研究所(千葉市)や各大学の研究者とネットワークづくりを始めていました。

 しかし、国際評価尺度で「レベル4」のJCOを超える史上最悪「7」もの放射線事故が起きるとは正直、想像すらしていませんでした。2011年3月11日に起きた福島第1原発事故の住民被曝調査は独自です。原医研出身で福島市の斎藤紀(おさむ)医師と一緒に5月、放射性物質が降った福島県飯舘村や隣の川俣町で15人から行動を聞き取り、採尿検査で微量のヨウ素131とセシウム137を検出した。各自の屋外・屋内線量を計算して正確な情報提供に努めました。

 原爆にとどまらず、「核」がひとたび放たれたら甚大な被害をもたらす。私たちの教訓とするべきです。

(2017年8月9日朝刊掲載)

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