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連載・特集

[つなぐ] 料理店経営 パルサド・シリさん=インド出身

印パ若者の交流を願う

 日本人にもおなじみとなった本格的なインド料理を広島でいち早く広めた一人が、デリー出身のパルサド・シリさん(64)=広島市中区=だ。象の頭を持つヒンズー教の神「ガネーシュ」を店名に冠したインド料理店を広島、山口両県の9カ所で経営している。

 12歳ごろからデリーの食堂で見習いを始めた後、レストランやホテルで働いた。1984年、31歳の時に家族を残して来日したのは「日本に行けば稼げる」と聞いたからだ。仲介者に紹介されたのが、広島市内のインド料理店だった。以来、30年余り。ひろしまフラワーフェスティバル(FF)や神社の祭りなど地域のイベントにも積極的に出店し、公民館に出向いて古里の手料理を教える講座も開いてきた。

 「カレーだけがインド料理ではない。炒め物や揚げ物など副菜も豊富。みんなで楽しみながら食べられるのが魅力だ」。店では母国から輸入した香辛料を使い、80種類のメニューを用意。食材を吟味し、地道な経営で浮き沈みの激しい飲食業界を生き抜いてきた。

 80年代のインドでは、原爆についてあまり知られていなかったという。「原爆が落とされたヒロシマは知っていたが、日本とは別の国だと思っていた。ビザを取り直さなくてはと思ったほど」と振り返る。帰省するたびに親類や友人から「木や草は生えているのか」「本当に生活できるのか」とまで心配された。

 接客などを通して日本語を覚えながら懸命に働き、家族を呼び寄せて生活の基盤を広島で築いた。次第に、核兵器について無関心でいられなくなった。その怖さや平和の大切さを痛感したからだ。だが隣国パキスタンと対立するインドは74年に初の核実験を強行。日本を訪れた母国の国会議員たちと一緒に反核の平和行進に加わったこともあった。さらに98年、インドとパキスタンは不毛の核実験競争に陥ってしまう。

 今月、両国が英国領からそれぞれ分離してから、70周年を迎えた。敵対関係は続き、インドは120~30発、パキスタンは130~40発の核兵器を保有するとの推計がある。「核兵器はない方がいい。でも他の国が持っていたら廃絶は難しいのでは」と感じることもある。両国の若者たちによる平和交流を願う。

 広島日印協会の代表も務めるが、これまで仕事が忙しいため目立った活動はしてこなかった。しかし還暦を過ぎ、最近は26歳になる長男に少しずつ仕事を譲る準備を始めたという。インドでは経済成長が著しい半面、貧富の差がさらに拡大している。「広島とインドの関係を深め、母国の貧しい人たちに支援できることを探したい」という思いも膨らむ。(桑島美帆)

(2017年8月28日朝刊掲載)

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