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広島市街地 堤防計画区域に30基 河岸の原爆慰霊碑 岐路 移設迫られる可能性

 広島市中心部の高潮・洪水対策のため計画されている国の河川堤防整備に伴い、河岸に点在する原爆犠牲者の慰霊碑が移設を迫られる可能性が出ている。碑は中、西区の計画区域に約30基あり、うち1基は移設が決まった。動員学徒が命を落とした場所など、碑の大半は犠牲者をしのぶため遺族たちが選んだ地に立つ。国土交通省太田川河川事務所は「管理者と協議し、慎重に対応策を考えたい」としている。(長久豪佑)

 国は2011年5月、太田川水系の河川整備計画を策定。おおむね30年にわたる計画で、下流域の広島デルタでは本川、元安川、天満川の計約9・1キロで堤防工事をする。天満川沿いの一部で工事が始まっているが、その他は未着手で、工期や工事の概要は決まっていない。

 計画区域の河岸には、原爆犠牲者を慰霊したり恒久平和を祈願したりする碑などが約30基ある。本川右岸にある被爆建物のトイレ、被爆した旧元安橋の中柱2本(いずれも中区)といった遺構もある。

 これらの碑や遺構に対する工事の影響について、同事務所は「設計してみなければ分からない」とした上で、「一部の碑については、移設や一時的な移動を管理者に求める可能性がある」とする。

 着工を控え、移設される碑も出ている。旧制広島市立中(現基町高)の慰霊碑は、9月中にも中区小網町の天満川左岸から基町高(中区西白島町)敷地内へと移される。原爆投下当日、1、2年生が小網町一帯で建物疎開作業に動員され全滅した。碑を管理する同窓会は、長期的な維持も考慮して決断した。

 平和記念公園(中区)そばの河岸も計画区域に含まれている。区域内には10基以上の碑が集中している。

 旧制広島二中(現観音高)の1年生は、現在の公園南側一帯に当たる旧中島新町での建物疎開作業に動員され全滅。同中の碑は1961年、動員現場跡の本川左岸に建てられた。管理する芸陽観音同窓会の音堂健治事務局長(67)は「悲劇の地に碑があることは記憶を継承していくために重要だ。ただ災害対策も大切。移設などの打診があれば協議したい」と話している。

太田川水系の河川整備計画
 中国地方整備局が2011年5月に策定した。太田川は廿日市市吉和の冠山が源流で、広島湾に注ぐ長さ103キロの1級河川。計画は災害防止や河川環境の保全などを目的に、おおむね30年で実施する国管理区間(約130キロ)の整備目標や河川工事、維持管理などについて定める。下流域のデルタでは、台風による高潮で市街地が浸水する被害を防ぐための堤防整備を予定する。計画は1997年の河川法改正を受け、水系ごとの策定が河川管理者に義務付けられている。

(2017年9月3日朝刊掲載)

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