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キューバ移民の苦闘に光 16日から 広島の企画展で紹介 強制収容や革命の荒波も

 広島の移民史でも、戦前にキューバに渡った人たちはほとんど語られてこなかった。困難な開拓、第2次世界大戦中の強制収容、社会主義革命の荒波…。16日から広島市中区の旧日本銀行広島支店で始まる「広島・キューバ展」(同実行委員会主催)は邦人のまとめ役だった広島出身の故内藤五郎さんの人生を通じ、カリブ海の島国での移民の苦闘に光を当てる。(岩崎誠)

 写真13点を使い、キューバ移民と内藤さんの歩みを伝える展示は東京都在住の倉部きよたかさんが提供した資料を基に構成した。移民の足跡を追い、生前の内藤さんと交流があった記録作家だ。

 19世紀末から始まったとされる日本からのキューバ移民の約1割は広島県人だったという。1908年に安村(現広島市安佐南区)で生まれた内藤さんは19歳の時、先に渡航していた兄に呼び寄せられた。荒れ地を開墾する厳しい労働を経て、青果市場の事業を軌道に乗せる。だが41年の日米開戦によって「敵国人」とされた日本人は刑務所の一角に収容され、財産も没収された。

 内藤さんは古里への原爆投下を知り、新天地にとどまった。終戦翌年までに釈放された日本人たちはゼロから立ち上がり、自身も首都ハバナで小さなカフェを営んだが、59年のキューバ革命によって店は接収されてしまう。

 カストロ政権下でキューバ永住を決意した内藤さんは漁業公社に職を得て、日系人のまとめ役として64年の慰霊堂建設に尽力する。80年代に強制収容の歴史を残そうとキューバ各地を訪ね歩き、倉部さんと手を携えて約350人の収容者名簿も作成した。広島へ帰郷も果たし、96歳で死去した。

 移民1世は既に世を去り、今では約1200人とみられる日系人がキューバ社会で活躍する。展示では、その礎となった広島からの移民149人の名も紹介する。

 実行委事務局長の堀江剛史さん(42)=広島市南区=は「米国との国交回復で注目を集め、カリブの真珠と呼ばれる国で、日系人が苦労したことを広く知ってほしい」と望む。同展は24日まで。

(2017年9月12日朝刊掲載)
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