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社説・コラム

『潮流』 異郷の月

■報道部長 林仁志

 家郷を離れて眺める月は何かと胸を揺さぶるものだ―。40代の海上自衛官は、唐の詩人李白の「静夜思」を引いた。寝台に差し込む月光は、地表を覆う霜とみまがうばかり。目を上げると、山の端に月が懸かっている。望郷の念は募る。

 1992年の暮れに聞いた話である。彼もまた、その年の秋の満月に心乱れたという。国連平和維持活動(PKO)協力法に基づく初めての海外任務で、自衛隊が呉基地からカンボジアに向かった時のことだ。乗り組んでいた補給艦を照らす光に誘われ、空を仰ぐと、不覚にも涙がこぼれ落ちた。

 後方支援の担当。停戦監視や橋、道路の修繕といった任務でないから危険はさほど感じていなかった。ただ海外派遣の是非を巡り国論は割れていたため、「失敗は許されないという重圧感があった」。

 呉に残した家族も気に掛かる。戦闘も、襲撃もまずない―と説明しても、現地の事情を知らない妻子は身を震わせた。マラリアが原因で命を落とした他国の要員もいるとも伝え聞いていた。

 「そんなこんなで仰いだ異郷の月だった」と涙の理由を追懐した。そして「月を眺めて感傷的になれる、そんな時代はいつまで続くのか」と真顔になり、話を打ち切った。

 あれから25年。国際情勢は大きく変わった。安全保障関連法の施行を受け、この春には海自艦が米艦を防護し、米イージス艦に海自艦が給油していたことも判明した。核実験やミサイル発射を繰り返し強行する北朝鮮を巡って緊張は高まり、一部の与党政治家は国内への核兵器配備検討にまで言及する。

 「そんな時代がいつまで続くのか…」。単なるつぶやきだったのか。物騒な時代がくる予感があったのか。あの時の彼の言葉がここにきて気になっている。

(2017年9月21日朝刊掲載)

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