社説・コラム

『想』 杉原梨江子 被爆樹の生きる力

 被爆樹を巡り始めて、約10年になる。実家のある府中市から高速バスで広島市に通った。

 被爆70年目の2015年7月には、広島市登録の被爆樹木を全て掲載した「被爆樹巡礼」を出版した。以来、公立図書館で写真パネルによる「原爆から蘇(よみがえ)ったヒロシマの木」展を続けている。ライブラリー・トークも行う。東京都内、愛媛県今治市、東広島市、府中市など全国の図書館、学校、被爆建物の旧日本銀行広島支店での展示も合わせると、今年で15回になる。

 展示では、被爆樹の特徴であるやけど、洞(うろ)、亀裂などが際立つ木々の写真とともに、被爆者の方々から聴いた被爆体験もパネルで紹介している。何も語らず亡くなった家族の思いを継ぐように、木を守っている所有者の話も記す。縮景園内や京橋川沿いの木には、原爆の絵を添える。「木のそばで何が起こったか?」を伝えることが何より大事だと思うからだ。

 一本の木と会うことは、原爆で亡くなった人々と出会うことだ。木はなにも言わないが、幹に傷痕をさらして、人の記憶を伝え続けている。

 原爆投下直後の被爆樹の様子を知りたいと思い、日本映画社が1945年9月から学術調査団に同行して撮影した原爆映像を見た。焼け焦げ、無残に折れた木々が立つ焼け跡に既に草が生えている。アップになり、画面の左端に花らしきものが映る。よく見ると朝顔だ。白黒フィルムなので色はわからないが、薄い花びらが風に揺れている。爆心地から約70メートル、撮影されたのは10月初め。爆心直下で咲いた朝顔に感動した。

 「花は語り、人は花に希望を託す」。今年の初夏に上梓(じょうし)した「神話と伝説にみる 花のシンボル事典」に書いた一文だ。45年10月に咲いたカンナの花は既にこの世にないが、見た人々の心に残り、やがて一枚の写真によって「命の再生」のシンボルとなっている。百日紅(さるすべり)、桜、椿(つばき)など毎年花咲く被爆樹は「生命力」の象徴でもあろう。

 一本の木が、一輪の花が、生きる力となることを伝え続けていきたい。(文筆家=東京都)

(2017年9月21日セレクト掲載)
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