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社説・コラム

核なき世界へ 行動の時

■編集局長 江種則貴

 ないものねだりでは決してないはずなのに、どうして共同受賞に被爆者や日本被団協の名前がないのだろう。被爆地からすれば正直言って、そうこぼしたくもなってくる。

 今年のノーベル平和賞が核兵器禁止条約の実現に貢献した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に贈られる。核拡散が続き、広島、長崎の惨禍が繰り返されかねない世界情勢への危機感が背景にある。肌を焼かれ、肉親を奪われた苦しみを金輪際、ほかの誰にも体験させたくないという被爆者の訴えがICANの活動と呼応し、条約の採択へと国際世論を動かしたのも間違いない。

 核で核にあらがう今の国際秩序が何と危うく、もろいことか。核兵器を持とうとする国が現れれば、いくら核保有国が圧倒的な抑止力でそれを押しとどめようとしても極めて難しいことは、北朝鮮を巡る動きを見ればすぐに分かる。

 核兵器が存在する限り、世界平和も人類の未来もおぼつかない。核禁条約の意味合いはそのまま、今回の平和賞が発するメッセージにほかならないのだ。

 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)やパグウォッシュ会議、そしてオバマ前米大統領と、核兵器廃絶を目指す取り組みはこれまでも繰り返し、ノーベル平和賞を受けてきた。それだけの歴史を繰り返しても廃絶が遠いのは、悲しい現実と言うべきかもしれない。

 だが、老いた被爆者の悲痛な叫びは、決して諦めるわけにはいかないことに、あらためて気付かせてくれる。

 広島、長崎の惨状から目を背けず、被爆者とともにその体験を世界に、次の世代に伝えていく。今回のICANの受賞は、そうした継承の営みを信念を持って続けよという人類全体への呼び掛けでもあろう。

 私たちヒロシマ、ナガサキ後を生きる者の覚悟と行動で、核兵器のない世界をたぐり寄せる。真の朗報が届く日を、ただ座して待っているわけにはいかない。

(2017年10月7日朝刊掲載)

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