社説・コラム

ヒバクシャとICAN 人間として訴え 広げる

■特別編集委員 西本雅実

 2017年のノーベル平和賞が6日、国際非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に授与されることが決まった。核兵器の使用や保有・開発などを禁じる初の条約を促す活動が高く評価された。それはまた、ヒバクシャたちの訴えが世界で認められたともいえる。

 世界122カ国・地域が賛同した核兵器禁止条約の署名が国連本部で始まった9月20日、グテレス事務総長はこう述べた。

 「広島と長崎の被爆者はわれわれに、核兵器による破滅的な人道被害を思い起こさせてくれる」。7月に採択された国際条約の前文には、「ヒバクシャ」の「苦痛と被害を心に留意する」との一文が盛り込まれているほどだ。

 それは、07年に発足したICANが、原爆体験者や核実験被害者らヒバクシャと連携し、核兵器の非人道性を強く訴え、非核保有国の政府や世論を動かしたからだ。

 人間として核兵器の禁止を求める活動は、1956年に結成された日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)から始まったともいえる。「世界への挨拶(あいさつ)」と題した結成大会宣言の一節を引く。

 「かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります」。核兵器を人類の問題としていち早く捉えて行動を始めた。

 しかし、その道のりは長く苦しいものであった。

 45年8月6日広島、同9日長崎と原爆がもたらした人間的悲惨は、当初顧みられることは少なかった。米軍が率いた連合国軍総司令部(GHQ)の占領期、原爆被害を伝えることすら封じられた。54年のビキニ被災を機に原水爆禁止を求める声が全国で一気に高まり、55年に初の原水禁世界大会が広島市で開かれた。

 「生きていてよかった」。12歳で被爆した体験を参加者に証言した女性が、感極まって漏らした言葉である。家族を奪われ、病苦や貧困にも直面した原爆被害者は被爆地でも社会の片隅に追いやられていた。

 互いに集まり、声を上げていった被爆者たちは、医療援護のみならず、原爆投下に至った国の戦争責任を問うようになる。そして核兵器を持ち、持とうとする国家の論理に市民らと協力して対抗していく。

 日本被団協は「ふたたび被爆者をつくるな」と85年、代表団を国連常任理事国でもある核保有5カ国に派遣。海外でも本格化した被爆者の粘り強い訴えは今日まで続き、核兵器禁止の実現を求める世界的な声となった。

 しかし、核保有国は条約制定そのものを拒絶。日本政府は米国の「核の傘」による安全保障を唱え署名には応じない。その一方で、北朝鮮は国際社会に背を向けて無謀な核開発を進める。米国大統領も核で威嚇するような発言をする。

 このままでは破滅的な事態になってしまう。平和賞の授与は、ヒバクシャの訴えに始まる「核なき世界」に踏み出す条約の発効を後押しするものであり、核の威力を信奉する国家にノーを突き付ける。

 広島で中学3年時に被爆し、日本被団協代表委員を19年間担った伊東壮氏はこうした言葉を残している。核兵器は人間に「トータルな崩壊」をもたらす。被爆者運動は「トータルな人間回復だ」と―。核兵器が存在する限り、ICANをはじめ世界で呼応する人間の活動は広がり、受け継がれていくに違いない。

(2017年10月7日朝刊掲載)
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