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社説・コラム

社説 平和賞にICAN 核兵器廃絶への弾みに

 核兵器を非合法化した年にふさわしい慶事といえよう。各国政府を説得し、核兵器禁止条約の採択に結び付けた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、ことしのノーベル平和賞に輝いた。

 グローバルな時代ならではの、地球規模のネットワーク型非政府組織(NGO)である。日本からも、広島県医師会が事務局を担う核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部や広島の青年でつくる「プロジェクト・ナウ」、ピースボート(本部・東京)などが加わっている。加盟する反核NGOは468団体に及び、世界101カ国にまたがる。

 国内外の若い世代がもたらした二重の喜びに、老いた広島、長崎の被爆者も目を細め、拍手を送っているに違いない。

 先月26日の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」にちなみ、ICANが東京都内の国連大学で記念行事を催している。基調講演のタイトルが、その活動理念を余さず物語る。

 <いのちに勝る正義なし>

 約1万5千発もの核兵器によって命が脅威にさらされているのは、私たち市民にほかならない。その市民が抗議の声を上げ輪を広げる。一人一人の現実的な危機感こそが、結集と行動の原動力となってきたのだろう。

 核禁条約が署名の手続きに入った先月の国連総会でも、市民社会を代表して、演説に立ったのはICANのベアトリス・フィン事務局長だった。

 その壇上で、彼女があえて触れ、たたえたのは長年にわたる被爆者たちの努力だった。

 ICANの活動は、ひたすら核兵器廃絶を訴えてきた被爆者の思いを継いでいる。「ほかの誰にも同じ苦しみを味わわせてはならない」との一念である。

 広島、長崎の反核団体や被爆者団体と連携し、核兵器の非人道性に焦点を合わせることで条約制定への力としてきた。交渉の会議に併せ、被爆者の声に耳を傾ける場を用意するなど、政府関係者に生の声を伝えるロビー活動も重ねてきた。

 受賞決定に、ICANが「被爆者や核実験の被害者と共に与えられたものだ」とコメントを寄せたのも、もっともだろう。

 奴隷制度の廃止にしても女性参政権の実現にしても、人類史を画する歩みは、いつも困難に満ちている。あまたの対立を乗り越え、「壁」を突破し、勝ち取られてきたものである。

 もちろん核禁条約も、分厚い「壁」に取り巻かれている。米国やロシア、中国など核保有国を筆頭とする、核抑止力の神話にすがりつく国々である。条約の署名に背を向けている中には恥ずかしながら日本もいる。

 被爆者に対する「裏切り」同然の行為だと、受け止められても不思議ではない。  一方で、北朝鮮のように、周りの見方などどこ吹く風と核開発に突き進んでいる国もある。現実の脅威からも目を背けるわけにはいかない。

 それでも、原点は微動だにしない。きのこ雲の下で、どれほどの市民が傷つき、無念の死を余儀なくされたか。忘れたいはずの過去を思い返し、時に自らの傷もさらしてきた、広島や長崎の被爆者の訴えである。

 核兵器なき世界というゴールこそまだ遠いが、核禁条約と平和賞を実現の弾みとしたい。

(2017年10月7日朝刊掲載)

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