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連載・特集

新たな証言 掘り起こし 連載「記憶を受け継ぐ」 100回

被爆地を挙げ体験後世に

 中国新聞の「平和のページ」の連載「記憶を受け継ぐ」が100回を超えた。中高生のジュニアライターが本紙記者に同行し、被爆者の体験を取材する試みが共感を呼び、新たな証言を掘り起こしている。本紙だけではない。被爆72年を経て官民の継承の営みに呼応し、あの日の記憶と戦後の半生に向き合って語り始め、筆を執る人たちが増えている。(山本祐司)

 スタートして5年以上になる本紙連載の特色は、そのまま中高生の体験継承につながっていることだ。しかも大人の記者に話す気になれなくても、孫世代の子どもには口を開きやすい。

代筆の試みも

 戦後、全く証言をしていなかった人が取材に協力してくれたケースも少なくない。記事はヒロシマ平和メディアセンターの専用ウェブサイトに同時に掲載し、英語にも翻訳して世界に発信する。ことしはインドで証言の一つを読んだ人から被爆者との文通を望む手紙も寄せられた。

 もちろん体験の掘り起こしは被爆地全体の大きな課題である。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)は高齢で書くことが難しくなった被爆者を募り、本人に代わって体験記をまとめている。

 今月、聞き取りに応じた谷本純一さん(87)=安芸区=が14歳の時に爆心地から約1・5キロで被爆した体験を初めて口にした。「(自分より若い)80歳でも体験を話す人を見て、傷がある自分こそ言わんにゃいけんと思った」。体に残るケロイドを職員に見せながら声を絞り出した。

 追悼平和祈念館には「終活」として被爆者が原稿を書いて持参したり、本人の死後に手記を見つけた家族が初めて被爆の事実を知り寄贈したりするケースがある。とはいえ、平均年齢が81歳を超えた被爆者の多くは体験を明かさないままと考えられる。

 当時を記憶し、語れる人も少なくなっている。厚生労働省が10年に1度、実施する被爆者の実態調査では体験記も募っている。7月には2015年度調査の1万1375人分が公開されたが、10年前に比べ、代筆が多いという。「当時の記憶はありません」とだけ記したものも目立つ。

「命あるうち」

 しかし「命ある今のうちに語らねば」と考える老いた被爆者もいる。核兵器禁止条約が生まれた一方、保有国が背中を向ける。北朝鮮が核実験とミサイル開発を進めるなど核を巡る状況は厳しさを増す。

 原爆資料館を舞台に、修学旅行生らに体験を伝える広島市の被爆体験証言者も被爆70年を前にした14年度から急に増えた。市が掘り起こしのため公募を始め、現在は47人が活動する。この春も新たに2人が活動を始め、その1人は「記憶を受け継ぐ」でも長年、心に秘めてきた体験を語った。

 ノーベル平和賞に決まった核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))の広島の加盟団体代表である安彦恵里香さん(38)は平和記念公園近くで平和カフェを営み、被爆者を店に招いて体験を語ってもらっている。「悲しい記憶を教えてくれるのは今後生まれる人が核の惨禍に遭わないようするため。それは愛情」と体験を継ぐ大切さを、そう表現する。

未来へ バトン受け取る ジュニアライター 藤井志穂(高1)

 私はこれまで9回、「記憶を受け継ぐ」の取材に参加しました。13歳で被爆した女性のつぶやきが、ずっと耳に残っています。「その場にいた人にしか分からないことです」。自分があの日の光景や臭い、亡くなる人の声を想像するにも限界があります。被爆体験を本当に分かるのは、おそらく核兵器が再び使われた時。分かることはできないし、分かってはいけないと思います。

 話すだけ話をさせて、相手を苦しめるだけではないか。そう悩んでいる時、被爆した人たちから「つらい経験を繰り返してほしくない。皆さんの未来を守るために、私の証言を残してください」という言葉を聞いて、聞き手の私は全力で受け止めようと考えを改めました。証言に出てくる場所を訪れたり、当時の写真を見たりすることで、記憶にできるだけ寄り添いたいと思っています。

 これから社会に出る10代が被爆体験を知ることは、大人になって平和のためにどんな行動をするか、考える基盤になると思います。「バトンを託すけえね」という言葉を胸に、小さな力ですが取材を続けて、次の世代へと記憶を引き継いでいきたいです。

(2017年10月16日朝刊掲載)

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