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連載・特集

引き継ごう 朝鮮通信使の記憶 <1> 鞆の浦朝鮮通信使研究会代表 戸田和吉さん

 江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された。瀬戸内海沿岸の通信使の寄港地で顕彰活動をしてきた人に、登録資料にまつわるエピソードや、平和外交の意義を聞いた。

墨書を保存 先人は誇り

 福山藩や儒学者の菅茶山たちは、朝鮮通信使が福山市鞆町の福禅寺対潮楼に残した書を、木額や版木にして保存、活用してきた。資金を提供したのは鞆の商人だった。先人の努力があったからこそ、約300年前の墨書を今日まで受け継いでこられた。福山の誇りである。

 鞆の浦朝鮮通信使研究会が、鞆の通信使関係資料の研究を始めたのは2009年。当時は文化財指定が一切なく、このままでは保存が難しいという危機感があった。関係資料の解読を進め、15年3月に市重要文化財に指定された。今回、「世界の記憶」登録につながったのはとてもうれしい。

 登録資料の一つ「韓客詞花」は、1748年に鞆へ寄港した通信使の三使と随行員の漢詩9首を1巻に仕立てたもの。いずれも中国の漢詩人杜甫の漢詩「登岳陽楼(がくようろうにのぼる)」と同じ韻を踏んで、対潮楼から瀬戸内海を望んだ感動を詠んでいる。通信使が眺めたのとほぼ同じ風景が、今も見られるのは財産だ。

 即興で韻を踏むなど、通信使の教養の高さが、江戸時代の学者たちの学ぶ意欲を刺激した。地誌「備陽六郡志」には、福山藩の儒学者が通信使と筆談した記録が残る。庶民にとっても異国情緒あふれる通信使は関心の的で、舟にご飯釜を載せて見物に来た人もいたという。

 福山藩などが保存のために木額にした「日東第一形勝」「対潮楼」の原本は傷みが激しい。貴重な資料を未来に引き継ぐため、保護を厚くする必要がある。加えて、約200年続いた隣国間の友好の歴史も、朝鮮通信使から学ばないといけない。登録された資料を見てもらうだけでなく、「誠信」の心を伝える工夫も考えていきたい。(聞き手は衣川圭)

福禅寺対潮楼朝鮮通信使関係資料
 福山市鞆町の福禅寺対潮楼で朝鮮通信使が残した詩書など6点が「世界の記憶」に登録された。「日東第一形勝」(1711年)「対潮楼」(1748年)は木額にもなり、対潮楼に飾られている。他に1711年の正使、副使、従事官の詩書1幅ずつと、1748年に通信使が詠んだ漢詩9首を巻物にした「韓客詞花」。

(2017年11月3日朝刊掲載)

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