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連載・特集

引き継ごう 朝鮮通信使の記憶 <2> 旧下蒲刈町(現呉市)の文化財保護委員長 柴村敬次郎さん

交流再現 島おこしにも

 旧下蒲刈町長だった故竹内弘之氏の下、文化財保護委員長として1983年に島の歴史を掘り起こし始めた。朝鮮通信使に注目したのは、島内に残る朝鮮通信使の宿館跡が広島県の史跡に指定されていることを知ったのがきっかけだ。図書館で資料を調べると来日した全12回のうち、対馬で引き返した1回を除いて11回、下蒲刈島に寄港。島を挙げて歓待していたことを知り、島おこしに生かせると思った。

 当時、寄港地だったことを知る住民はごくわずかだった。下蒲刈島と通信使の関係を書籍にまとめ、住民向けの講演会もした。

 資料を調べる中で「安芸蒲刈御馳走(ごちそう)一番」との文言が一番気になった。同行した対馬藩主が下蒲刈のもてなし全般を評価した言葉だった。新鮮な魚やキジなど山海の食材をふんだんに使った豪華な料理に感動し、復元した模型を作ると島内で話題になった。

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された絵巻物「朝鮮人来朝覚備前御馳走船行烈図」にも描かれている通信使船の模型も作った。韓国の古代船舶研究所に依頼し、通信使の最高責任者である正使の大船を10分の1で再現した。今回の登録でこの模型にも注目が集まることを期待している。

 集めた資料や模型を展示した全国でも珍しい朝鮮通信使資料館を含む松濤(しょうとう)園は1994年に開館した。観光のためだけでなく、日韓の友好の歴史を知り、両国の理解を深める場として重要な役割を担っていることが誇りだ。毎年秋に行う朝鮮通信使再現行列も、韓国からの参加者が増え、交流の場として広がってきた。

 日韓関係は良い時ばかりではないが、通信使は友好の証し。貴重な資料を大切に保存し、永久に守っていかなくてはならない。(今井裕希)

絵巻物「朝鮮人来朝覚備前御馳走船行烈図」
 呉市下蒲刈町の松濤園が所蔵する。1748年に来日した第10次朝鮮通信使の船団が、日比港(玉野市)から牛窓(瀬戸内市)に向けて進む様子を描く。警備を担当する備前藩の船を含めて約370隻が描かれている。副使の船が燃える事故があり日本船で代替したことや、行列を見物する日本人の驚いた声が注釈として記されている。

(2017年11月4日朝刊掲載)

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