社説・コラム

新聞感想文「ノーモア ヒバクシャを世界へ」

 2017年の第17回中国新聞「みんなの新聞コンクール」(中国新聞社、広島国際文化財団主催)の入賞者が決まり、新聞感想文の最優秀賞の一つに、核兵器廃絶を誓う作文が選ばれました。中国新聞の社説「長崎市長の平和宣言」(8月10日付)などを読んだものです。

福山市・盈進高1年 前原未来(みき)さん(16)

今こそ声を胸に刻む時

 核抑止論がはびこる世界情勢のなかで、非核保有国が中心となり「核兵器の非人道性」に依拠し、核兵器禁止条約(以下、核禁条約)の成立に向かって連帯してきた。非核保有国が、核保有国を包囲しようとする動きだ。

 7月7日、国連にて、核禁条約採択。賛同国は122カ国。国連加盟国の6割を超える。核禁条約には、核兵器の使用や製造の禁止が明記された。それは、核兵器に「無用の長物」という汚名を着せ、核兵器廃絶を意味する。

 戦争被爆国・日本の方針は、核兵器廃絶であるから、本来なら、核禁条約の先頭に立つべきである。だが、日本政府は、日米安保条約を重視するあまり、核抑止論を前提とした「核の傘」に守られる立場を堅持し、交渉にも参加しなかった。

 採択に際し、南アフリカ政府はこう言った。「(核禁条約に)ノーを突きつけることは広島、長崎の被爆者の頰をはたくことに等しい」。被爆地と被爆者からの失望も強い。今年の長崎平和宣言は、核禁条約を高く評価し、文言の多くを割いた。「(核禁条約を)『ヒロシマ・ナガサキ条約』と呼びたい」と言い、日本政府の姿勢を「到底理解できない」と批判した。そして「核禁条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進める」よう、求めた。

 長崎大学核兵器廃絶研究センターなどの調査によると、世界には現在もなお、1万4900発の核弾頭が、10万6157発分の核物質が存在する(2017年6月現在)。最近では、北朝鮮によるミサイル発射と核実験が繰り返され、対する米国の態度も含め、核戦争の恐怖を身近に感じる現状がある。

 核禁条約採択。そのエネルギーの源は何か。それは、紛れもなく「被爆者の声」である。「ヒバクシャ(hibakusha)」の文字が、条約に盛り込まれているのは、その証拠である。

 8月30日、長崎の被爆者・谷口稜曄さんが亡くなった。「生かされた」者の使命として「目をそらさないで」と、熱線によって背中に真っ赤なやけどを負った自身の写真を手に、世界で核廃絶を訴えてきた。「核兵器は残虐で人道に反する」と、深い憎悪がにじんだ思いを、被爆70年の平和祈念式典で語った。核禁条約の採択を喜びながらも「被爆者がいなくなった時にどんな世界になるのかが一番心配だ」と話し、進展が見えない核兵器廃絶の行方を死の直前まで気にかけていた。

 私は、中学1年から核兵器廃絶の署名活動で街頭に立っている。3月、その学習で、切明千枝子さん(87)の被爆体験を伺った。いまこそ、私たちは、人類生存のために、被爆者の声を胸に刻み込まなければならない。

 あの日、切明さんは、ひどいやけどの下級生に「水をください」と言われ、スプーンで水をあげようとした。だが、衛生兵がこう言った。「水を飲んだら死ぬぞ!」。下級生は、切明さんに懇願した。「死んでもいい。水を飲ませて」。下級生はまもなく亡くなった。切明さんは語る。「同じ死ぬのなら、水を飲ませてあげればよかった。後悔している」。切明さんは、校庭に穴を掘り、下級生の死体を焼いた。死体は、焼かれながら収縮し、手足が動いた。切明さんは、ガタガタ震えた。でも、目をそむけることができなかった。

 「私はこの手で仲間を焼いたの。そのときの彼女の表情、声、息絶える姿、焼かれる光景…今でも全部、思い出して、心が痛むの。私は、過去を忘れたいと思ってきたの。でも、今黙っていたら、再び戦争が起きる気がするの。だから、死んだ仲間のためにも、語るのよ。生きてこそ平和。あなたたち若者を、戦争で死なせたくないの。だから、諦めないで行動してほしいの」

 谷口さんや切明さんがつくってきた平和。私の曽祖父も被爆者である。すでに亡くなったが、被爆者の悲願である核禁条約の採択をきっと喜んでいることと思う。今、私の行動が問われている。

(2017年11月9日朝刊掲載)
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