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社説・コラム

緑地帯 チャップリンと核 森弘太 <3>

 チャップリンの「ニューヨークの王様」に、米国で体験した「赤狩り」や商業主義への批判と嫌悪が渦巻いているのは当然だが、創作の動機に、米国の核政策が同時代性として存在することを見逃すべきではない。

 核を巡る認識を、チャップリンは「自伝」(中野好夫訳)で次のような具体例を挙げて述べている。映画「ライムライト」(1952年)のロンドンでのプレミア公開後、英国議会上院の夕食会での体験である。

 「社会主義者である彼(隣席の労働党議員)が、核武装による防衛策を支持するのを聞いて意外に思った。いくらイギリスが核爆弾の貯蔵をふやしてみたところで、逆に一発くらえばひとたまりもないにきまっている、とわたしは反論した。どうせ小さな島国なのだ」

 また、彼は「ニューヨークの王様」について、英紙のインタビューで語る。「これは私の映画のなかではもっとも反抗的なものだ。私は、今話題になっている死にゆく文明の一部になるのはごめんだ」。「死にゆく文明」が核武装至上主義をうたう米国を指すのはいうまでもないだろう。

 この作品で、主人公に託して核の平和利用計画を米国に迫るチャップリンだが、その意図は、やがて「核の廃絶」へと深化していったように思える。「自伝」には、次のような記述も見える。

 「原子核の分裂によって、人類は窮地に追いつめられ、考えざるをえなくされるのだ。自滅か、それとも賢明な行動か、選択はそこにある。いまや科学の圧迫がその決断を迫っているのだ」(映画監督=尾道市)

(2017年11月11日朝刊掲載)

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