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戦争と原爆 96歳の自分史 学徒動員引率や妹の被爆死… 広島の元教員・嶋末さん

知人の被爆者協力

 元教員の嶋末節子さん(96)=広島市東区=が戦争・原爆体験を中心にした自分史を冊子にまとめた。最近まで同じケアハウスに住んでいた被爆者の藤井澄さん(88)=広島県府中町=から「戦争体験を次の世代に伝えよう」と強く勧められたのがきっかけだ。(金崎由美)

 嶋末さんは大戦中、向原高女(現・向原高、安芸高田市)に勤務。手記では、1944~45年に江田島の呉海軍工廠(こうしょう)火工部に交代で動員され、生徒が黄色の火薬を砲弾に詰める危険な作業を監督した経験をつづった。4年生と寮生活を送りながら、ともに栄養不足に苦しんだという。

 45年8月6日の「あの日」と、その後についても書き進めた。爆心地から約1キロの職場に出ていて被爆した19歳の妹、妙子さんは急性症状に苦しみ、時に錯乱状態に陥りながら約1カ月後に他界する。教え子や地域の住民は、負傷者を収容した向原国民学校や広島市中心部に駆り出され、入市被爆や救護被爆をした。嶋末さんも後に被爆者健康手帳を取得している。「年々巡り来る記念日に当時の悲惨さを思い起こし、核廃絶を願う気持ちでいっぱい。恒久的な平和こそ私の願い」

 自分史を執筆したのは27年前。思い立ったのは、教え子たちの手帳取得申請に協力したことが大きかったという。以来、しまい込んでいた原稿用紙の束を再びひもといたのは、この夏。藤井さんから被爆体験をまとめた冊子を贈られた際、「私も書き残している」と明かした。

 藤井さんは「江田島などでの過酷な学徒動員はあまり知られていない。多くの人に読んでもらおう」と提案し、印刷や発行の手配で協力した。完成した冊子は「夾竹桃(きょうちくとう)の花」と題したA5判、105ページ。嶋末さんは「戦争当時のことを一人でも多くの人に伝えることができるなら、うれしい」と控えめに語る。親類に渡したほか、原爆資料館にも献本した。

(2017年11月14日朝刊掲載)
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