×

社説・コラム

緑地帯 チャップリンと核 森弘太 <6>

 「殺人狂時代」(1947年)は、チャップリンが米国を追われる主因となった映画である。原題は「ヴェルドゥ氏」。「ニューヨークの王様」が腫れ物のように扱われる事情をたどる上で、この作品の考察は欠かせない。

 チャップリン扮(ふん)するヴェルドゥが、自らの人生を振り返る。長年勤めたパリの銀行を不況で解雇されたこと、足の不自由な妻と息子を養うために投機に手を染めたこと…。彼は独身を装って金持ちの中年女性を次々と誘惑しては、投機への金を奪い、殺していた。

 未遂もあった。毒薬の実験台にと誘惑した若い女で、悲恋を経た貧しい女と知り、殺意がうせた。やがて世界大恐慌の波に、ヴェルドゥは財産も妻子も失う。失意の中、その女と再会するが、彼女は、大戦の兵器製造で成り金となった男の愛人となっていた。

 世をはかなんで自首した殺人鬼ヴェルドゥ、すなわちチャップリンは、後世に残る名言を口にする。「大量殺人者としてはわたしはアマチュアです。一人を殺せば悪党で、百万人を殺せば英雄だ。数が殺人を正当化する」

 完成時にチャップリンは会見で語った。「現代文明がわれわれすべてを大量殺人者に変えようとしていることを表現しようとした。原子爆弾はこれまで想像もつかなかったほど残酷な武器であり、大勢の半狂人がどんどん増えていくような恐怖と不安を伴う」

 「殺人狂時代」は「ニューヨークの王様」に先駆けて、チャップリンの核に対する認識を表明している。「赤狩り」の標的になったゆえんであろう。(映画監督=尾道市)

(2017年11月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ