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連載・特集

井伏鱒二とふるさと 生誕120年 黒い雨の伝言

被爆日記の思いくむ 忍苦の日常 誠実に取材

 原爆小説「黒い雨」の最終項、主人公閑間重松は養魚池の前で、原爆症のめいの奇跡を占う。「五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」。モデルは神石高原町小畠の乱塔池。今は散策地のこの場所で、かなわないと知っていた祈りの意味に思いをはせる。

 「天は裂け、地は燃え、人は死んだ」8月6日を克明に記録した本作。放射線被害と被爆者の忍苦の日常に迫った。

疎開中に出会う

 閑間のモデルは、池近くに住んでいた故重松静馬氏。爆心地の北約2キロの横川駅で被爆した。井伏鱒二が疎開していた頃出会った。重松氏は子や孫のため書いていた被爆日記を1962年、井伏に送付。「原水禁運動の役に立ちますれば」と小説化を頼んだ。

 黒い雨の連載が始まったのは3年後。当初は「実際のことを知らない」と執筆を迷った。書くと決めては、広島を訪ねて被爆者を取材。「合わせて五十人以上には聞いただろう。聞く度に真剣になった」(「私の道」89年中国新聞)。未曽有の悲劇の誠実な記録者であることに努めた。

 重松氏の養女の夫重松文宏さん(81)は、観光客たちに小畠の黒い雨の舞台を案内し、小説の制作過程を伝えている。「井伏には非体験者が書くことの葛藤があった。でも、重松は感謝していたはずだ」と思いやる。

有志と継承に力

 昨年11月には住民有志たちと黒い雨の継承プロジェクトを発足。核兵器禁止条約制定など、世界の機運に背中を押された。文宏さんは「2人の願いを、今こそ知ってほしい」と語気を強める。

 小畠を望む丘には、黒い雨の一説を引いた文学碑が立つ。「戦争はいやだ 勝敗はどちらでもいい 早く済みさえすればいい いわゆる正義の戦争よりも 不正義の平和の方がいい」(高本友子)

「黒い雨」と神石高原町
 「黒い雨」は1965年1月に「姪の結婚」の題で連載が始まり、8月に改題、66年9月に完結した。同町には、2007年に関連資料を展示するサロン「歴史と文学の館 志麻利」が開館。井伏鱒二の生誕120年に合わせ、17年11月に住民有志たちで「黒い雨」プロジェクト実行委員会(重松文宏会長)を設立。黒い雨の映画かドラマの観賞会などを予定している。

(2018年1月20日朝刊掲載)

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