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「星は見ている」 再び光 被爆死した広島一中生 遺族手記集 追悼祈念館展示

子奪われた無念 共感呼ぶ

 353人の生徒が原爆で犠牲になった旧制広島一中(現国泰寺高)。子を奪われた父母らの手記集「星は見ている」(1954年出版)に、再び光が当たっている。発刊64年、ことし国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)の年間企画展のテーマとなり、時代を超えて共感を広げている。(桑島美帆)

 元日から始まった同名の企画展は一中生の遺影72点や手記26点などを展示。うち7人の遺族の手記を約30分の映像で流す。1年生だった子を失った藤野としえさんが残し、本のタイトルの由来にもなった手記「星は見ている」も含む。

 遺族の期待は大きい。広島一中原爆死没者遺族会の会長、秋田正洋さん(66)=南区=も足を運んだ。3年生だった兄が犠牲となり、初代会長を務めた父の手記が紹介されている。「遺族会も孫、ひ孫の世代になり活動が難しい。一中生の無念の思いや、戦争と原爆が何をもたらしたのかを知ってほしい」と語る。

  一中は爆心地から約900メートルにあり、校舎は原爆投下で倒壊して全焼した。特に1年生の約300人のほとんどが命を落とす。奇数学級は近くで建物疎開作業に当たり、偶数学級は校舎で待機中。即死した生徒もいればやけどを負い、苦しんで死んだ生徒もいる。
 関係者向けに刷った追悼記を基に、手記33点を集めて全国出版された「星は見ている」。一つ一つの文章から深い悲しみ、無念さがにじむ。平和の集いなどで朗読されることも増えた。

 原爆で家族を失った生の証言は兄弟姉妹が中心となった。子を失った親世代に接する機会は乏しく、被爆体験記でもあるこの手記集は大きな力を持つ。祈念館の叶真幹館長(63)は「親が子を思う気持ちは今も昔も変わらず、若い人にも伝わりやすい」と考える。

 企画展を見た京都市の大学生梅村みゆきさん(21)も「戦争は歴史だと思っていたが、遺族の立場になってリアルに想像できた。毎日を大切に生きようと思う」と力を込めていた。

映像化された手記から

  藤野博久さん=1年、建物疎開中に被爆、行方不明=の母としえさん
 (被爆前夜、星空を見ながら)少年は言い続けるのでした。「どうして戦争なんか起こるのでしょうか、止めてほしいなあ、日本にない物はアメリカから送って貰い、フィリピンにない物は日本から送ってやり、世界が仲よくいかんものかしら…」

 (息子や一中の友達、広島の人たちの)魂が天に昇り、星くずとなって、この地上に再びあのような惨禍が起きないようにと、毎夜、静かに私たちを見つめているように思われてきました。

  檀上竹秀さん=1年、校舎の下敷きとなり22日後死亡=の母貞子さん
 栄養を取るにも、何一つなく、(8月)十七日頃から気分が重くなり、「母ちゃん、今日一日仕事せんと、僕と話をしようや」と云い出し、私も一緒に寝ころんで…(後略)

 もし、あの時、一籠のトマトがあり、輸血をしていたら、あるいは、助かっていたのではないかしらと、いまだ帰らぬ愚痴をこぼしてはられております。

  秋田耕三さん=3年、建物疎開中に被爆、翌日死亡=の父正之さん
 (息子を捜して)「色の白い子です。足の白い子を呼んでみましょう」という妻と一緒に、耕三! お父さんです。一中の秋田耕三! お母さんです。秋田耕三はいませんか…(中略)その時、「お父さんですか?お母さん」という耕三の声であったが、それはすでに、若い少年の生命が消える最後の声であった。

(2018年1月29日朝刊掲載)

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