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物産陳列館 1919年の活気 現・原爆ドーム ドイツ人捕虜工芸展の写真

 広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム、広島市中区)で1919年に開かれた「似島独逸俘虜(ドイツふりょ)技術工芸品展覧会」の様子をとらえた写真が、見つかった。似島(南区)の収容所に移送された第1次世界大戦中のドイツ人捕虜による展示即売会。原爆資料館(中区)は「撮影時期が明確な物産陳列館内の写真は珍しく、貴重」としている。(山本乃輔)

 展覧会の写真は3枚あり、絵画や育てた花を陳列した様子▽「乾電池で動く」と宣伝された船の模型▽瓶入りの飲料を陳列した様子。撮影者は不明だ。

 展覧会は19年3月4~13日にあり、捕虜が作った美術・工芸品、飲食物など323品目が出品された。捕虜だった菓子職人カール・ユーハイムが日本で初めてバウムクーヘンを紹介したとされる。資料館によると、出品目録は残されているが、写真が確認されたのは初めてという。

 似島俘虜収容所は17年に開設。ドイツ領だった中国・青島から日本に連れてこられたドイツ人捕虜が、大阪市にあった収容所の閉鎖に伴い似島に移った。

 写真は、ドイツ在住の写真家藤井寛さん(64)が83年、捕虜だったテオドール・エアハルトさん(1950年に死去)の妻(故人)から譲り受けたアルバムにあった。

 アルバム内の写真は計123枚。藤井さんによると、似島関連は、注釈やエアハルトさんの説明を覚えていた妻の証言から展示会以外に8枚あるという。井戸の水をくみ上げるポンプ施設や収容所内で上演された捕虜による演劇の一場面など。残りは大阪の収容所分が大半を占める。

 藤井さんは8日、これらの写真の複製を市公文書館(中区)に寄贈した。似島の歴史を研究している宮崎佳都夫さん(64)=南区=は「似島の収容所に関する鮮明な写真は見たことがなかった。今後の研究に役立つ」と話した。

似島俘虜(ふりょ)収容所
 第1次世界大戦中の1917年2月19日に開設された。外務省所蔵の資料では、敷地面積は約1万6千平方メートル、建物の総面積は約3500平方メートル。大阪俘虜収容所(大阪市大正区)の閉鎖に伴い、収容されていたドイツ人捕虜約550人が移送された。20年4月1日に閉鎖。捕虜はサッカーやコンサートで広島高等師範学校(広島大の前身の一つ)などと交流していたという。

(2012年11月11日朝刊掲載)

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