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被爆死 遺族の思い語る 広島で児童文学作家大野さん

 県立広島第一高女(現皆実高)出身で、母校の後輩たちの被爆死を描いてきた児童文学作家の大野允(みつ)子さん(86)=広島市安佐南区=が原爆資料館で講演した。

 「ひーちゃんはいった」(1977年)や「八月の少女たち ヒロシマ・1945」(85年)で知られる。建物疎開に動員され、ほぼ全滅した第一県女1年生の遺族を「生徒日誌」の一つを基に訪ね歩き、被爆状況や最期を聞き取った。

 「被爆体験を継承する会」が主催した講演会には約50人が集まった。全身にやけどを負った娘が「とうちゃん、足が冷たいよう」と言いながら息を引き取ったこと。親たちが遺骨の代わりに、残された制服を持ち帰ったこと。遺族から聞いた話を大野さんは紹介し、「母親たちは、亡くなった娘の命や戦争について激しい思いがある」と振り返った。

 自身の体験にも触れた。当時2年生だった大野さんはあの日、現在の安佐南区にあった工場へ動員されていて助かった。「私は無傷で、頭の上に火の玉が落ちてきた人間ではない。(原爆の)傍観者だ」と強調。「なぜヒロシマがこういうことになったのかを、知りたいから書いている」と力を込めた。(桑島美帆)

(2018年2月12日朝刊掲載)

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