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ハンフォードで「核」問う 米プルトニウム製造拠点 長崎の被爆者と若者訪問へ

広島出身 宮本准教授ら企画 現地の被曝住民と交流

 米シカゴのデュポール大准教授で、広島市中区出身の宮本ゆきさん(50)ら日米の研究者が、長崎原爆の材料となったプルトニウムの製造拠点に、長崎の被爆者と若者を派遣するプロジェクトを企画した。戦後も稼働した核施設からの放射能流出に苦しむ住民らと共に、核兵器がもたらす被害の実態に草の根レベルで向き合う。(金崎由美)

 計画によれば3月5日から1週間、長崎市の被爆者森口貢さん(81)と長崎大教育学部4年の光岡華子さん(22)が、米北西部ワシントン州のハンフォード核施設と周辺地域を訪れる。

原子炉の見学予定

 現地の住民団体「CORE(放射線被曝(ひばく)がもたらすもの)」と交流し、近くのホイットマン大での集会にも出席する。さらに米エネルギー省との交渉で、今は廃炉となっているプルトニウム生産炉「B原子炉」の見学許可も得たという。

 米国政府は2015年、原爆開発の「マンハッタン計画」の遺構を国立歴史公園に指定した。この原子炉は中心となる見学施設だが、対日戦争と米ソ冷戦に勝利した象徴として位置付けられているのが現状だ。長崎の被爆者が入るのは、極めて異例のことだという。

 参加する森口さんは、長崎で入市被爆した体験や核兵器廃絶への思いを現地で語る予定だ。4年前、横浜からの修学旅行生に体験を語った際に「死に損ない」という暴言を浴び、波紋が広がった。「悩んだ末、こちらが熱心に語るだけでなく対話が大切だ、と思い至った。ハンフォードでも同じだと思う。考えが違う人たちとも出会い、核兵器は人間にとって本当に安全保障となるのかを問い掛けたい」

 光岡さんは現在、大学を休学し、高校などを訪れて平和教育を行う活動「ピースキャラバン」に全力を注いでいる。被爆体験を継承する世代として、核大国で感じたことを帰国後に広めてほしいと依頼を受けた。「戦争時の被害、加害では決して終わらない、核の負の側面をもっと知りたい」と意気込む。

 今回のプロジェクトは、宮本さんが長崎市の「平和特派員」に任命されたことがきっかけだ。

 教える学生に原爆被害の実態を知ってもらうため、広島と長崎に米国から毎年引率している。その縁もあって長崎市などから助成を受け、宮本さんの母校でもあるシカゴ大のノーマ・フィールド名誉教授らと準備を進めてきた。広島市立大広島平和研究所のロバート・ジェイコブズ教授も協力する。

 「使われた側だけでなく、使った側の市民にも痛みを強いるのが核の恐ろしさ。互いに苦しみを知り、国の論理を越えて連帯するきっかけになってほしい」と宮本さんは語る。広島原爆の製造拠点であるテネシー州オークリッジなどと、広島の被爆者が交流する試みにも広げたいという。

資金寄付呼び掛け

 ただ現地滞在費などを賄うのにはまだ資金が足りないため、宮本さんたちはインターネット決済サービス「ペイパル」で寄付を呼び掛けている。https://www.paypal.me/COREHanford

 詳しくはフィールドさんnorma.field@gmail.com(日英両言語可)

「全米で最も汚染された地」 放射性物質を放出 地下に廃棄物

 米軍は1945年8月9日、広島原爆リトルボーイに続く原爆ファットマンを長崎に投下し、同年末までだけで約7万人の命を奪った。それを支えたハンフォードは「全米で最も汚染された地」とも言われる。

 ワシントン州を流れるコロンビア川沿いにB原子炉が建設されたのは第2次世界大戦中の44年。取り出されたプルトニウムが原爆開発の拠点、ニューメキシコ州ロスアラモスに運ばれ、長崎原爆に使われた。

 米国が兵器用の核分裂物質の製造を中止して施設が閉鎖される89年まで、原子炉計9基と、5カ所の再処理施設が建設された。沖縄本島の1・3倍もの広大な土地で、計67トン余りのプルトニウムが製造された。

 その過程で特に70年ごろまで大量の放射性物質が大気中や川に放出されたことが明らかになっている。さらに地中には数千カ所に分けて放射性廃棄物が貯蔵されたままだ。2億リットル分の高レベルの放射性廃液を貯蔵する地下タンクの腐食や、放射性廃棄物を閉じ込める地下トンネルの崩落など、トラブルが絶えない。

 周辺住民たちはがんや白血病、甲状腺の機能障害が多発していると訴える。連邦政府や州政府は「居住地域から遠いこともあり、現在の健康影響リスクは非常に低い」としており、救済は遠い。米政府資料などによると、除染作業に今後、日本円で約12兆円かかると試算され、それも予定通りに進むかどうかは不透明だ。

(2018年2月12日朝刊掲載)
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