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社説・コラム

『私の学び』 広島YMCA理事長 黒瀬真一郎さん

「思いやる心」をつなぐ

 広島YMCA(広島市中区)との出合いは高校2年の時。大学進学に向けた夏季講習に参加するためで、2週間通った。その時は、YMCAの平和活動への取り組みなどは意識していなかった。

 その後、YMCAとの縁を得た背景には「広島折鶴の会」の世話人で、「原爆の子の像」建立や原爆ドーム保存運動に尽力した故河本一郎さん(2001年死去)の存在がある。

 先進的な英語教育にあこがれ、1969年から広島女学院中高(中区)の教員となっていた。河本さんはその2年前から同校で用務員として働き、平和活動に従事していた。学校には世界中から千羽鶴が届けられ、作家や平和活動の関係者などの訪問者も多かった。河本さんがいたからだった。

 河本さんの活動を間近に見て、実践のすごさに敬服させられた。仕事を終えてから被爆者の世話をしに行き、原爆の子の像の清掃は深夜まで及んだ。時間とお金のほとんどを活動につぎ込み、いつも質素な作業着姿だった。折鶴の会の活動が新聞やテレビで取り上げられる時は、「会員の子どもたちが主役だから」と取材は子どもたちに任せ、自身は表に出なかった。

 私には決してできないような活動をする河本さんを尊敬し、活動への支援に力を入れた。なぜあそこまで献身的に原爆の恐ろしさや命の尊さを伝えられるのか。河本さんの最期の言葉が「お母さん…」だったことで分かった。幼い頃、母親に「自分だけがいい思いをしてはいけません。人の痛みが分かる人になりなさい」と厳しく育てられたといい、その言葉を生涯大切にしていたのを思い出した。

 河本さんの思いをしっかりとつないでいく。これが私の社会活動の原点。YMCAとは、折鶴の会の事務局があったことや、女学院と同じキリスト教というつながりを通して、再び深く関わる機会を得ている。

 創立80年を迎えた今、少子化で主軸の専門学校事業が苦戦するなど、経営は苦しい環境にある。だからこそ、これまでYMCAが広島の宝としてきた平和教育に磨きをかけながら、河本さんが実践した「他人を思いやる心」を育てていきたい。(聞き手は松本真由子)

くろせ・しんいちろう
 1941年、三次市生まれ。北九州市立大外国語学部卒。山陽高の教諭を経て、広島女学院中高に勤務。07~14年同院長。広島YMCAは95年理事。副理事を経て、10年9月から現職。

(2018年2月19日朝刊掲載)

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