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連載・特集

[つなぐ] ワールド・フレンドシップ・センター館長 バーバラ・シェンクさん ダニー・オットさん=米国出身

被爆地の今 夫婦で発信

 米国の平和運動家、バーバラ・レイノルズさん(1915~90年)が開いた広島市西区のワールド・フレンドシップ・センター(WFC)。昨年8月から40代目の館長(ボランティア・ディレクター)を夫婦で務めるのが、米国出身のバーバラ・シェンクさん(64)と夫のダニー・オットさん(65)である。

 欧米やアジアから年間約300人程度の宿泊を受け入れる。施設運営だけではなく、被爆者の体験を聞く会や平和記念公園の碑巡りの企画なども大切な任務だ。「世界の人々に広島で何があったのか可能な限り学んでほしい」とシェンクさんは力を込める。

 シェンクさん一家は57年に来日した。父は宣教師。18歳まで北海道標茶(しべちゃ)町で過ごす。戦後10年余りなのに「シベチャの先生や友達は、米国人の私と分け隔てなく接してくれた」。その経験が教員を目指すきっかけとなる。

 米国に戻った後、各地で教員生活を送った。農場を経営していたオットさんと結婚したのは29歳の時だ。イリノイ州のアーバナ市で一男一女を育てながら教員を続けた。

 日本にいた子どもの頃、家族で被爆地広島を訪れたことがある。ただ本格的にヒロシマを米国で伝えることに力を入れ始めたのは10数年前。小学校で学習支援が必要な子どもの教育に携わっていた。高学年の教え子たちに毎年、第2次世界大戦の歴史を教える中で折り鶴を一緒に作り、英語で出版されている佐々木禎子さんに関する絵本や児童書「伸ちゃんのさんりんしゃ」の読み聞かせをしたという。

 「米国の教科書は原爆投下で戦争が終わったと教える。実際に苦しんだ人々に思いを寄せてほしいと思った」と振り返る。遠く離れていても、ヒロシマとつながっていることを感じてもらうため、児童一人一人の名前を書いた折り鶴を持参して来日し、平和記念公園の原爆の子の像にささげたこともあった。

 大学教員も務めたオットさんは3年前、シェンクさんも昨年5月に職場を退いた。夫婦で第二の人生を模索していて、口コミサイト「トリップアドバイザー」でWFCの次期館長の募集を知った。「私たちの仕事」と直感してすぐ応募し、採用された。

 この半年間で被爆地に溶け込みつつある。夫婦で原爆・平和関連のシンポジウムや市民集会に参加。先月、広島市内で開かれた「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))のベアトリス・フィン事務局長を囲む集会にも参加した。

 来年7月までの任期中に2人で取り組む課題として「もっと若い人を活動に巻き込むこと」を挙げる。65年の開設から半世紀以上、支える被爆者やボランティアスタッフのほとんどが70歳を超える。

 館長に就任して初めて広島に来たオットさんも「ヒロシマの平和活動を伝えるプロジェクトに力を入れたい」と意気込む。一期一会が平和を築く―。レイノルズさんが残した言葉だ。その遺志を継ぎ、多くの人とのネットワークを広げるつもりだ。(桑島美帆)

(2018年2月19日朝刊掲載)

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