連載・特集

[つなぐ] 広島女学院中高教諭 ジェラルド・オサラバンさん

いちずな生徒の姿 感銘

 米国ニューヨークの国連本部で核兵器廃絶を訴えたり、米国やロシアの高校生たちと核軍縮を討論したり―。広島市中区の広島女学院中高の平和活動を同僚と共に支えているのが、米国出身の英語教諭ジェラルド・オサラバンさん(43)=安佐南区=だ。

 2008年に同校に採用されて以来、10年間にわたって平和や核軍縮に関する課外活動を担当してきた。碑巡りや核兵器廃絶を求める生徒たちの署名集めに同行し、米国で行う学校の平和研修も引率する。「核廃絶は実現できると信じ、全力で取り組む生徒に、いつも感銘を受ける」と力を込める。

 米イリノイ州の大都市シカゴで生まれ育った。父親は、1965年に200ドルの所持金を手に米国へ渡ったアイルランド系移民。近所にも、メキシコやポーランド出身の移民家族が多く、多国籍な環境で育った。

 しかし、98年7月から広島で暮らし始めるまで「戦争を終わらせるために核兵器が使われた」と信じていた。シカゴの高校や大学でそう習ったからだ。「広島と長崎の人たちは、今でも米国人に怒っている」とも思っていた。

 来日のきっかけは、外国青年招致事業(JETプログラム)。大学卒業を前に漠然と海外に興味が湧いていたころ募集を知り、応募した。日本は、ニュースで見た「TOYOTA」や「SONY」のイメージしかなく、日本語はまったくできなかった。

 赴任先は府中市上下町。外国人はほとんどおらず、日本語が話せないと地域に溶け込めない。小中学校や公民館で英語を教える傍ら、日本語を必死で習得する。後に妻となる女性とも出会い、広島で生活基盤を固めた。JETの任期終了後は、三次市内の英会話学校や広島市内の私立校の英語講師も経験した。

 小学生と中学生の娘がいる。何度も娘たちと平和記念公園を訪ねた。米国人である自分に「なぜ、こんなひどいことをしたの」と娘に問いただされたことがある。「結局、戦争が悪い、としか説明できなかった」。娘と一緒に原爆資料館の写真や遺品を見て、あの日に思いを寄せた。

 かつての自分のように海外の多くの人たちが、きのこ雲の下で何があったのかを知らない。昨年、ノーベル平和賞の受賞演説をしたサーロー節子さん(86)の母校でもある広島女学院では、原爆投下で300人以上の生徒が犠牲になった。ちょうど長女と同世代の少女たちだ。

 海外からの研修や碑巡りで外国人を案内する際にはそのことに触れ、「子どもやおじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お父さんが亡くなった」ことを強調する。

 ただ足元の広島でさえ、被爆体験の風化は進む。母国ではトランプ政権が核戦力強化や使用条件緩和を公然と打ち出している。「次の世代が変えないと危ない。生徒たちには世界を変える力がある」。他の学校とのネットワークも広げ、体験継承とともに核兵器廃絶に関わる人材を育てたいという。(桑島美帆)

(2018年4月10日朝刊掲載)
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