被爆証言

『記憶を受け継ぐ』 寺川光人さん―大やけどの顔 風に激痛

寺川光人(てらかわ・みつと)さん(87)=広島市佐伯区

あの日の制服携え「過ちから教訓を」

 焼け焦(こ)げた袖(そで)。血がにじむ襟元。寺川光人さん(87)が73年前のあの日に着ていた制服です。大やけどに苦しんだ記憶と、懸命(けんめい)に看病してくれた家族の愛が刻まれています。

 八幡村(現・佐伯区)の農家に次男として生まれた寺川さんは、県立広島商業学校(現県立広島商業高)2年生でした。戦争で授業はなく、15歳の誕生日だった8月6日朝も、建物疎開(そかい)作業に動員されるはずでした。

 広島駅から当時は皆実町(現南区)にあった校舎に向けて同級生と歩いていた時のことです。現在の広電比治山下駅の辺りで強烈(きょうれつ)な光に襲(おそ)われました。爆心地から約1・8キロ。近くの避難(ひなん)用の壕(ごう)に飛び込みましたが、顔の右半分や右腕、後頭部を熱線が直撃しました。

 とにかく逃(に)げよう―。比治山に登ると、眼下の街は火の手が上がっています。広島駅に行くとホームの枕木(まくらぎ)からも火が出ており、列車は走っていません。火の海となった市街地を避(さ)け、北の方角から大きく遠回りしながら己斐駅(現西広島駅)へ。「ホームにあった水道の蛇口(じゃぐち)に群がり、傷口を冷やした。今も駅の上り線ホームを通ると思い出す」

 広電荒手(あらて)駅(現草津南駅)から先は路面電車が動いていました。超満員(ちょうまんいん)の車両に必死にしがみつきました。焼けて垂れ下がった頰(ほお)が風にペラペラとなびき、激痛にうめいたそうです。五日市駅で心配そうに待っていた父と再会したのは夕方でした。

 大変だったのは、その後です。意識を失い、「ええ男を台無しにしたのお」という祖母の涙(なみだ)声で目覚めたのは3日後。鏡に映った顔は右半分が真っ黒になり膨張(ぼうちょう)していました。「どうなるのか…」。頰や鼻の下にうじがはい回りました。「苦しみは痛みだけじゃない。うみの臭(にお)い。猛烈(もうれつ)なかゆみ」。放射線による下痢(げり)やだるさもあり、床(とこ)に伏(ふ)せました。

 あらゆる手を尽くしてくれたのが母フジヨさんでした。火葬場(かそうば)で人骨を拾って粉にし、油で練って頰に貼(は)ったことも。奇跡(きせき)的に傷が徐々(じょじょ)に薄(うす)くなりました。

 翌年春、広島商に復学。生徒と教職員計137人が被爆死していました。「負傷した者も多かったが、懸命に生きていたその姿に、頑張(がんば)ろう、と励(はげ)まされた」。学校制度の改革で1年間、観音高(西区)にも通いました。「女子生徒と机を並べ、生徒会役員は選挙で選んだ。戦争中は考えられなかった。民主主義は素晴らしいと思ったよ」

 快活でスポーツ好きの寺川さんは19歳で小学校で体育を教え、働きながら大学卒の資格と教員免許(めんきょ)を取りました。56年にカヅ子さん(84)と結婚し、2女に恵まれました。小学校の校長を退職してからも地元学区の体育協会や子どもの安全を守る活動のまとめ役として忙(いそが)しくしました。

 制服を捨てなかった理由を亡き母が語ったことはありません。寺川さんは「子どもまで無差別に殺す戦争の愚(おろ)かさに対し、強い思いがあったのでは」と想像します。地域で被爆体験を語る機会があれば、制服を携え「歴史の過ちから教訓を学ぼう」と伝えています。

 八幡村では45年7月、米軍機が墜落(ついらく)。パラシュートで脱出(だっしゅつ)した米兵を発見しました。「敵だと信じ込(こ)んでいたから、恐(こわ)くて近づけなかった」。米兵は捕虜(ほりょ)となり、翌月被爆死しました。寺川さんは「そんな時代に戻(もど)ってはならない。平和のため国同士、人同士が仲良くするのが一番」と力を込めます。「脅(おど)しのための兵器は真の友好を妨(さまた)げる。核兵器はなくすべきだよ」(金崎由美)

私たち10代の感想

体験の伝え方 考えたい

 寺川さんは顔や腕に大やけどを負いましたが、現在目立った外傷があるようには見えません。家族の懸命さが奇跡を起こしたのだと思いました。ある日突然戦争によって苦しい体験を強いられた15歳の少年の気持ちを、現在に生きる僕たちが想像(そうぞう)することは簡単ではありません。どれだけ理解し、自分の言葉に置き換え、周囲(しゅうい)に伝えることできるか考えていきたいです。(川岸言統、16歳)

核抑止力の問題 教わる

 「国と国は仲良くしなければならないが、核保有は友好発展を妨げる」という一言が心に残りました。核兵器自体が相互不信を招く。使われなければそれでいいのではなく、だから廃絶すべきだ、という意味でしょう。とても分かりやすく「核抑止力」の問題を説明してくれました。後日、韓国と北朝鮮の首脳会談のニュースに接して、寺川さんの言葉の通りだと思いました。(鬼頭里歩、17歳)

(2018年5月9日朝刊掲載)
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