社説・コラム

『潮流』 キリシタンと原爆

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 長崎の原爆資料館を訪れた折、欧米人らしき女性が凍り付いた表情で十字を切る姿が心に残った。視線の先にはあの日、壊滅した浦上天主堂で見つかったロザリオ。爆心地に近い浦上のカトリック信徒は1万2千人のうち、8500人が死亡したとされる。

 その場面を思い出したのは「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録が確実というニュースからだ。禁教下の信仰を伝える現存教会や集落などが対象だが、原爆に遭った浦上は登録遺産がない。そのためか弾圧を越えて信仰を守った信徒たちの被爆の惨禍は今回、語られていないように見える。

 難しい問題には違いない。原爆を「浦上五番崩れ」と呼ぶ人たちもいた。崩れとは、弾圧のこと。明治維新をはさみ、多くの信徒が流罪となった「浦上四番崩れ」に続く試練としての受け止めだ。ただ原爆と迫害を同列に扱う視点なら、被爆地全体からすれば違和感もあるだろう。

 「洗心」欄を担当していた時代、長崎で「浦上の聖者」と呼ばれた永井隆博士の原爆観を取材したことがある。

 博士は最愛の妻を犠牲にした原爆を「神の摂理」と言い表した。それが原爆投下を容認し、米国を免責したとする批判を長崎で聞いた。一方で博士と近かったカトリック関係者からも説明を受けた。廃虚で生き残り、うちひしがれたカトリックの同胞を励ました言葉であり、決して原爆を肯定はしていない、と。

 一ついえるのは立場は違えど、長崎にとって原爆とは何かという根源的な議論が今に至るまで続いてきたことだ。

 世界遺産になれば長崎を訪れる人は増えよう。ロマンとしても語られるキリシタンの歴史と一緒に核の脅威も学んでほしい。例えば幕末にキリシタン復活の舞台となった国宝大浦天主堂。爆風で大きな被害を受けた被爆建物でもあることを思い起こしたい。

(2018年5月17日朝刊掲載)
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