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連載・特集

イワクニ 地域と米軍基地 ドイツ・イタリアから <2> 記憶

第2次大戦 続いた空爆

無人機拠点化を住民懸念

 ドイツ最大規模のラムシュタイン米空軍基地を一望できる丘があると、ウォルフガング・ユングさん(80)が車で案内してくれた。「基地はそもそも戦争のための拠点。それなのに、基地や行政が持ち出してくる話題は『友好』ばかりだ」。林野に広がる基地を見つめ、こぼした。

 ユングさんは、基地のあるラムシュタイン・ミーゼンバハ市で生まれ育った。教師の傍ら、ベトナム戦争時代から反戦運動に関わってきた。2004年にインターネットサイトを開設。米軍や基地に関する情報に自らの解説を加え、「基地反対」を発信してきた。

 米軍の欧州空軍司令部が置かれる同基地は冷戦下、西側の要衝だった。今も北大西洋条約機構(NATO)のミサイル防衛システムの中枢の役割を担う。

 さらに近年、新たな戦争技術との関連が指摘されている。01年の米中枢同時テロを受け、米軍が投入した無人攻撃機だ。複数の報道機関が、米軍関係者の証言や機密文書を基に、中東などへの爆撃の際、米本土からの遠隔操作の中継拠点だったと報じた。

実態を明示せず

 対テロ戦で米軍は、米兵を危険にさらさずに攻撃できる無人機の運用を拡大した。一方、多くの民間人が巻き添えになっているとの批判も広がった。「身近にある基地が爆撃に関わっているのは見過ごせない」。米側が実態をつまびらかにしない中、ユングさんは12年、把握するよう求めてドイツ政府を提訴したが、却下された。

 ユングさんは長年、基地の存在を否定し続けてきた。突き動かすのは戦争体験だ。幼い頃、戦地に赴いた父は帰ってこなかった。第2次世界大戦末期、一帯は繰り返し連合軍の爆撃を受けた。ある夜、空襲警報を受けて母親と一緒に隠れた森で、焼夷(しょうい)弾がきらめいて落ちるのを見た。続いて立ち上った炎と爆発音の中、級友2人が亡くなっていたのを翌朝知った。「破壊し尽くされた町の風景が私の原点だ」

 同市のラルフ・ヘヒラー市長は「基地と地元の関係は良好だ」と強調する。一方、無人機攻撃への関与が報じられたのを機に、基地の撤退を求める声が広がっている。

 「どこかで戦争をするための機能が、この基地にはそろっている」。平和活動に取り組むコニ・シュミットさん(69)は15年、仲間とデモを企画し、約1500人が集まった。昨年は国外の参加者もあり、約5千人で基地の周辺を行進した。

冷戦時の最前線

 シュミットさんに戦争体験はないが、冷戦の最前線だった基地の町で育った。幼い頃、町のあちこちに空爆の爪痕が残っていた。私たちは火薬だるの上に座っているようなもの―。母親は口癖のように繰り返していた。「母の言葉は今も通じる。何かあれば、ここも攻撃対象になる。基地をなくすことが地域に経済以上の恩恵をもたらすはずだ」

 世界各地の米軍基地の機能は、米側の思惑や国際情勢によって変化する。明るみに出た無人機攻撃への関与に、ラムシュタイン空軍基地の近隣住民はかつての空爆の記憶を呼び覚まし、懸念を強めていた。(明知隼二)

(2018年5月21日朝刊掲載)

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