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若き経済学者 広島で被爆死 旧制山口高出身の二宮さん 遺族、祈念館に写真登録

 将来を期待されながら、広島で原爆に遭って30歳の若さで命を落とした経済学者がいた。山口市で青春時代を送った二宮健策さん。敬虔(けいけん)なクリスチャンでもあった。家族とともに写った写真が、遺族の手で国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に登録された。(増田咲子)

 二宮さんは1914年に群馬県渋川市に生まれる。父は戦前に山口高商(現山口大)教授、戦後に共立女子大初代学長を務めた丁三さん。旧制山口中、旧制山口高を経て東京帝国大経済学部に進んだ。

 東京大では同時代を代表する経済学者、矢内原忠雄氏(61年に68歳で死去)に師事した。その恩師は内村鑑三から教えを受けた無教会主義のキリスト教伝道者でもあり、二宮さんも聖書に親しむ。大学院に進んだ後に東北学院高等学部(現東北学院大)や松山高商(現松山大)に赴任し、統計学や商業などを教えた。

 しかし43年に応召、陸軍経理学校に入って見習士官となる。軍務をしながら45年3月に妻園子さんと結婚し、翌月に広島勤務に。中国軍管区司令部に所属していた8月6日に原爆で死亡した。遺族によると、父親が現在の広島市中区基町で本人の眼鏡と時計を見つけたという。

 戦後、2代目の東京大総長を務めた矢内原氏は経済学徒として、キリスト者として信頼を寄せた二宮さんを忘れなかった。晩年の60年には生前、自分に届いた手紙をまとめて出版した「二宮健策君から矢内原先生への手紙」の編者となる。前書きで「君の将来に嘱望するところ実に大であったが、広島の原爆は君を地上から奪ってしまった」と、その死を悼んだ。

 収録された師への手紙からはあつい信仰に加え、家族思いの面がひしひしと伝わる。45年5月には新婚早々離れて暮らす妻について「離れてをりますと本当の愛といふことがよくわかります。婚約時代にはとてもそういふことはわかりませんでした」と書き残す。

 家族写真は父母や弟、妹と一緒に1937年ごろに撮影された。登録したおいの隆史さん(73)と朋子さん(68)夫妻=東京都世田谷区=は「穏やかで誠実な人柄だったと聞いている。戦争によって運命を狂わされた家族のつらさを思うと、胸がつぶれそうだ。何かを残さないといけないとの思いだったので登録できて安心した」と話している。

(2018年7月10日朝刊掲載)
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