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連載・特集

マンハッタン計画 75年後の核超大国 <3> 国立歴史公園

展示 被爆の実態伝えず

「基本文書」の記述と矛盾

 開発と使用という「原爆体験」の意義を多角的に提示し、継承する―。2015年にマンハッタン計画国立歴史公園を設置した目的を、米側はそう説明する。主要3拠点に残る建物や敷地を公園として指定・保存し、自国民が親しみながら歴史を学ぶ場として整備が徐々に進められている。

 どんな展示や説明がされるのか。昨年1月、公園を所管する米内務省国立公園局が発表した「基本文書」の内容は被爆地でも一定に評価できるものだった。原爆の壊滅的な無差別被害や生涯にわたる後障害の苦しみに言及していたからだ。

 公園の3拠点のうちニューメキシコ州ロスアラモスを歩いた。既に公開されている施設を見学すると、被爆地として楽観するのは早計だと気付かされた。

 住民が憩う市街地のアシュレー池のほとりに、歴史公園の小さなビジターセンターがあった。国立公園局と「パートナー」だというロスアラモス歴史協会が提供したパネルを展示。土地の接収で開発拠点を整備した事実や科学者の「奮闘」を平易に説明していた。

「戦争を終結」

 一方で、原爆の使用に直接関係する展示は乏しい。8月6日の広島への原爆投下と2日後のソ連の対日宣戦布告に触れながら「日本国民に告ぐ! 即刻都市より退避せよ」と促した日本語ビラの複製ぐらいだ。

 ビラの説明文はこうだ。「原爆投下前、長崎にまかれた」。事前に警告をしたから責任はない、と暗に強調するように見える。しかし長崎原爆資料館によればビラは投下後にまかれた可能性もあるという。

 非政府組織(NGO)の「核遺産財団」が制作に携わった20分ほどの映像も上映していた。米国の著名な歴史家らが原爆投下について「日本に対する都市空襲を超える破壊力ではなかった」「長く恐ろしい戦争の終結に導いた」と語る。

 ロスアラモスの公園指定地は5カ所。今も核開発拠点である国立研究所の広大な敷地内にあり、一般開放はされていない。このビジターセンターを起点に、5カ所の解説パネルがある研究所付属の科学博物館、ロスアラモス歴史博物館や公園の関連エリアを巡るモデルルートが学びの場だ。

 そこには原爆開発の歴史はあっても、落とされた側の一人一人の苦しみを実感することは困難だ。

削られた予算

 地元選出議員やNGOが後押しした歴史公園。当初の狙いは専ら「世界でも米国だけが達成した科学技術の金字塔を後世に伝える」ことだったといえる。これに対して広島、長崎両市は原爆使用の正当化への懸念を表し、原爆被害も取り上げるよう働き掛けてきた。

 少なくとも現状を見る限り、「基本文書」のスタンスと矛盾しているように見える。今後、展示を変更するつもりはあるのか。国立公園局に問うたが、まだ返事は届かない。トランプ政権下で国立公園局の予算が削減され、議会の関心も低調なため、公園整備が足踏みしているともいわれる。

 米国から戻った後、広島平和文化センターの小溝泰義理事長に現地の状況を伝えた。15年、公園の設置に合わせて国立公園局が有識者会議を開いた際に「ヒロシマ代表」として招かれ、被爆地の思いを直接、訴えている。「文書があるから一件落着ではない。これからだ」と小溝さんは言う。(金崎由美)

マンハッタン計画国立歴史公園
 内務省国立公園局と、米国の核兵器維持を所管するエネルギー省の共同事業として2015年11月に設置。原爆開発計画の遺構を保存する。同公園の設置法で列記するロスアラモス、オークリッジ、ハンフォードの施設や地域のうち、現時点でロスアラモス国立研究所に残る広島原爆の組み立て施設など計13カ所が対象。展示は国立公園局の管轄だが、施設はエネルギー省が所有・管理し、一般の立ち入りができない場所もある。放射能汚染の除去が課題の施設もある。

(2018年8月1日朝刊掲載)

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