×

ニュース

被爆母の思い 継ぐタクト 指揮者の山下一史さん 惨禍題材の合唱曲挑戦

原爆伝えようと寄贈の髪 進む劣化

 広島市東区出身の被爆2世の指揮者、山下一史さん(56)=東京都=が9日、原爆の惨禍を題材にした合唱曲「原爆小景」に初めて挑む。被爆13年後、自身の「抜けた頭髪」を原爆資料館(中区)に寄贈した母が4年前亡くなり、頭髪資料の劣化は進む。市が2015~17年に実施した資料館下の発掘調査で、亡き父が育った旧中島地区の遺構も確認された。「記憶の風化を防ぎたい」。両親の体験を受け継ぐ思いを旋律に乗せる。(水川恭輔)

 原爆小景は、被爆した市出身の作家原民喜の詩「水ヲ下サイ」などを基に故林光さんが作曲した作品。山下さんは、東京混声合唱団が9日に第一生命ホール(東京都中央区)で開く演奏会でタクトを振るう。

 山下さんは世界的な指揮者だった故カラヤン氏のアシスタントを務め、現在東京芸術大教授。古里で「第九ひろしま」などを指揮したことはあるが、原爆に深く関わるのを避けてきた。

 発端は子どものころの体験だった。「髪」は資料館の代表的資料の一つ。夏には母博子さんへの取材依頼が相次いだ。聞かれるのは爆心地から約800メートルで大けがを負い、脱毛や放射線障害に苦しんだつらい体験。それが「母をいじめているように思えた」。

 4年前、86歳で母が亡くなった後、生前の証言映像に触れた。「私が死んでも髪の毛が原爆の悲惨さを語ってくれる。でも髪がなくなってしまったら…」。母が懸念したように髪は変色し、劣化が進んでいた。心が動いた。指揮の依頼があったのはそんな時だった。

 父博三さん(10年に83歳で死去)が育った旧中島地区(現在の中区の平和記念公園)の遺構が発掘調査で確認されたことも、継承への思いを駆り立てる。

 父の親友の一人が、入り口付近の遺構が確認された米穀店の次男。同店では母子7人が被爆死した。「父と家族ぐるみの付き合いだった。まさか遺構が残っているとは」。人の営みを根こそぎ奪った原爆の悲惨さをかみしめる。

 「コドモノ死ンダ頭ガノゾキ」―。原爆小景では、市民の惨禍を刻む原民喜の詩が悲痛な旋律で歌われる。「作品にもともと力がある。作者が伝えたいことを伝えるのが指揮者の役目。その上で僕の思いが自然とにじみ出れば」。両親への思い込め、タクトを振るう。

(2018年8月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ